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2016.10.31 [イベントレポート]
「TIFFでのプレミアム上映をキアロスタミ監督と黒澤明監督、小津安二郎監督にささげたい」ワールド・フォーカス『キアロスタミとの76分15秒』 -10/27(木):Q&A

キアロスタミ

©2016 TIFF

10/27(木)、ワールド・フォーカス『キアロスタミとの76分15秒(併映:Take Me Home)』の上映後、セイフラー・サマディアン監督(監督/撮影/編集/プロデューサー)、マディアン・ショーレ・ゴルパリアンさん(通訳)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
司会:通訳のショーレさんもキアロスタミ監督と親交が深かったことから、コメントもお願いいたします。それでは、一言ご挨拶をお願いいたします。
 
セイフラー・サマディアン監督(以下、監督):みなさんこんにちは。ご覧いただきありがとうございます。今回で来日は三回目ですが、巨匠の追悼映画で来たことはすごく残念です。黒澤明監督、小津安二郎監督、アッバス・キアロスタミ監督はみんな家族だったんじゃないかと思います。その中でもキアロスタミ監督と小津監督は双子だったように感じました。黒澤明監督にお礼を申し上げたうえ、今回の東京国際映画祭でのプレミアム上映をキアロスタミ監督と小津監督にささげたいと思います。
キアロスタミ監督と小津監督は同じ目線で世界を見ていたと思います。
 
司会:ショーレさんも監督と親交があったと思います。一言お願いします。
 
ショーレさん:私はキアロスタミ監督の日本と韓国でのアシスタントのようなものでした。25年間キアロスタミ監督の日本と韓国での映画のロケと撮影、写真の全てをコーディネートしてきました。最後の作品で、日本で撮影した『ライク・サムワン・イン・ラブ』では、助監督、プロダクションマネージャーとすべてやっていました。この映画を見ると涙が出そうになります。キアロスタミ監督との思い出はたくさんあります。
 
監督:ショーレさんがいなかったら、日本とイランの映画関係はこんなにも発展していなかったと思います。
イランではショーレさんはイラン映画のシスター(姉)と呼ばれています。
 
司会:東京国際映画祭はキアロスタミ監督との縁が深く、最初に上映したのは『そして人生は続く』だったと思います。1990年代初めは非常にたくさんのイランの方々が日本に労働者として来ていて、差別などいろいろな問題が起こっていました。そんな中で『そして人生は続く』が東京国際映画祭で上映されて拍手喝采され、そこでキアロスタミ監督の名前が一躍有名になりました。イランの方もたくさん見に来られて、「日本に来てから、自分がイラン人だということにこんなにも誇りに思ったことはない」とスタッフに告げていかれる方もいらっしゃったようです。映画の力はすごく大きいと感じました。あれから24年が経ち、長い付き合いをさせていただきました。
 
ショーレさん:キアロスタミ監督は絶対に観客と一緒には見ない方だったんですが、日本では初めての上映だったので、当時の会場の一番後ろでしばらく立って見ていました。観客が静かに見ている様子に、私に「みんな死んでるんだよ」とおっしゃっていました。「違いますよ」と言うと、「じゃあ、みんな寝てるんだよ」とおっしゃいました。
それが思い出になって、「一番いい観客は日本人だ」と語っていました。
 
Q:この76分のドキュメンタリーは何時間くらい密着して撮り溜めたのでしょうか。
 
監督:自分はカメラマンとして37年間仕事をしましたが、そのうち25年はキアロスタミさんとずっと一緒で、いろんなロケをしたり、映画祭に参加したりしていました。彼がロケハンに行ったところには自分がずっといて、25年間キアロスタミさんの映像を撮っていました。とにかくとても長い長い付き合いでした。それをどうやってこの時間だけに抑えたのか説明させていただきます。
実はキアロスタミさんが亡くなったとき、1か月くらいお墓にも行けなくて、彼の映像も見ることができませんでした。絶望していたといってもおかしくないくらいでした。そこに、サンフランシスコにいるキアロスタミさんの長男から電話があって、「ヴェネツィア国際映画祭で父の追悼をしたいから映像をくださいと言われています。一番父が信頼していたのはあなたですし、あなたの前では自分らしく自由にしていたので、あなたが撮った映像が最も父自身に近いと思います。ぜひ映像を作ってください。編集してください。ヴェネツィア国際映画祭にそれがないと私達だけではなく、イラン映画界の恥になります」と言われました。
もし、キアロスタミさんの身内の人に頼まれていなかったら、やっていなかったと思いますが、長男に言われたので断れませんでした。しかし、2カ月しかないと聞いて、25年間撮った映像で、2ヵ月で何ができるのかと戸惑いました。24時間眠らず、家に帰らず、撮っていたすべてのラッシュ(未編集のフィルム)を見たんです。その中から最初のエピソードとして1つの作品を作ろうとしていましたが、まだ全然できていないのに、ヴェネツィア国際映画祭のラインアップに載っていたので、もう逃げられないと思いました。ご覧いただいた「エピソード1」と自分が呼んでいるものを、映像の中から選んで作り上げましたが、本当にひどい2ヵ月間で大変苦労して作りました。
とてもリスキーでした。自分はこれから何を発表していけばいいのかわからなかったのですが、キアロスタミさんの存在はものすごく強くて、キアロスタミさんだけを映したらものすごく物語が語れると思いました。このドキュメンタリーにはインタビューが一切なくて、珍しいと思います。自分はこれのことをポートレイトと呼んでいます。まったく取材もせず、映像をつないで作った理由は、キアロスタミさんとずっと一緒にいたからです。
たくさん話してしまってすみません。質問できる方も時間がなくなってしまうかもしれませんが、皆さんの疑問に答えられるかもしれません。
タイトルのことですが、自分はその1カ月の間、何をどのくらいの長さにしたらいいかわからなかったのです。思いついたのはキアロスタミさんが76歳と15日間この世に生きていたので、タイトルは『76分15秒』にしようと思って、この時間にしました。
そして、自分は決まった枠の中で作らなければならないと思っていました。ひとつは、映画の画質です。いろんなカメラで撮っていましたが、必ずすべてminiDVカメラで撮ったものを選ぼうと決めていました。撮影場所もイランのみにしようと決めました。それらを決めたら1カ月でできる気がしてきました。海外で一緒に行った映画祭や海外で開いたワークショップの映像もありましたが、一切それを使いませんでした。ふたつの枠を守ったら、なんとなく画像の質を保っていけると思いました。
 
ショーレさん:キアロスタミさんはどんな性格でしたか。
 
監督:キアロスタミさんは口癖があって、「その人は十分だ。」と言うのです。その「十分だ」というのは、出しゃばらない人、空気が読める人で、そういう人をどこでも求めていました。だから十分じゃない人をどんどん消していったので、だんだん周りのスタッフがいなくなっていきました。最終的に、『10話』という映画を撮ったときには、サウンドマンもカメラマンもいませんでした。劇中で車を運転している女優さんしかいなくて、あとは全部自分で撮っていました(笑)。

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