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2016.11.02 [インタビュー]
『サーミ・ブラッド』監督、自らのルーツへの責任を果たすために正確に描いたものは?
サーミ・ブラッド  
スウェーデンの新星アマンダ・ケンネル監督による長編デビュー作「サーミ・ブラッド」は、スウェーデンの負の歴史に光を当てたヒューマンドラマだ。独自の文化を持つ北部の少数民族、サーミ族が差別を受けていた1930年代を生きた少女エレ・マリャの目を通し、当時のスウェーデン社会、教育システムの問題を浮き彫りにした。非常にデリケートな題材を、鮮やかな演出で描き出すことに成功した本作について、監督、そして主演のレーネ=セシリア・スパルロクに聞いた。
 
デビュー長編となる本作に、あえて自分のルーツ(監督は母がスウェーデン人、父がサーミ族)でもある重いテーマを選んだわけを聞くと、「これは、私が作らなければならないテーマだと、ずっと考えていたからです」とケンネル監督は話す。
 
アマンダ・ケンネル監督(以下、ケンネル監督):このテーマの短編を、この10年ずっと作り続けていました。親戚や知人にインタビューをし、リサーチをしてきたのですが、当事者の意見には大きく分けてふたつの考えがあります。ひとつはサーミの文化やルーツを大事にしようとする考え、そしてもうひとつは、それを完全に封印し、自分にはもう関係のないこととしてルーツを捨て去ってしまう考えです。そこで、自分のルーツを否定しながら生きるということはどういう意味があるのだろうかという疑問がわき、この作品に繋がっていきました。
 
本作はトロントとベネチアでも上映され、非常に大きな反響を呼んだ。主演のセシリア・スパルロクは「初めての国際舞台だったので、今もどう説明していいのかわからないけれど、とても素晴らしい経験でした」と振り返り、ケンネル監督も「興味深いリアクションを得ることができました。ここ東京も楽しみにしてきました」と語る。
 
ケンネル監督:作品自体はフィクションですが、民族衣装やセット、小道具やトナカイの扱いなど、そういったものについて正確に描くことが、私が持つルーツへの責任。そういったことを、きちんと汲み取っていただけたのでしょう。特にトロントでは、涙を流して見てくださった方もいらっしゃいました。カナダにもネイティブの少数民族が暮らし、当事者の方も作品を観にきてくださっていたので、シンパシーを感じていただけたのではないかと思います。
 
エレ・マリャが受ける差別、偏見の描写が痛々しいほどにリアルで、今現在、世界中で広まる右傾化や人種差別へのアンチテーゼのようにも映る。スパルロクは「いま、おそらく初めて、サーミという少数民族のことをオープンに話してもいいという時代になったのだと思います」と話してくれた。
 
スパルロク:エレ・マリャは家族を捨て妹とは一生会えないという、違う人生を選んだわけですから、そういう複雑な気持ちを表現するのが一番難しかったです。家族を捨てなければ生きられない、文化を捨てなければ人として認められないといった部分はとても嫌でしたね。
 
またケンネル監督は、「この作品の取材をしている時期は、ちょうどヨーロッパ中に難民問題などが広がっていたときだったんですよ」と振り返る。
 
ケンネル監督:この作品の前に撮った短編は難民キャンプを題材にしていたのですが、彼らはどこの国に行ってもその国の文化の一部としては受け入れてもらえていない、という実態がありました。その経験がこの作品に影響を与えているのかもしれません。それだけに、この作品を撮るにあたっては、なるべく本当のサーミの文化を見せなければならないと思ったのです。たとえば、サーミ語には9つの方言があるんですが、それを話せる人はもう500人ほどしか残っていませんし、トナカイと共に生きる文化も演技でできるようなことではないのです。あれは一生涯トナカイと暮らして初めてできる仕事なので、そういったことができる女優を探すのは非常に困難でしたが、結果的にはとてもうまくいきました。特に彼女(スパルロク)と彼女の妹でニェンナ役のミーア=エリーカ・スパルロクは本当に優秀でした。彼女たちは子どもの頃からサーミの文化を聞いて育っているし、サーミの親戚もいます。他の文化で育った女優なら難しいことも、彼女たちは理解が早かったですね。
 
この映画で描かれる時代は、サーミ族にいわゆる同化政策を強行していた。「実際、スウェーデンの学校から逃げ出しても、だいたい捕まって戻されてしまったそうです」と、劇中で描かれる数々のエピソードは事実だったことを明かす。
 
ケンネル監督:昔の文書を調べると、20世紀の政治家の発言で「サーミはきちんとした教育をされていない」というものも残っています。この作品で描いたことは、あの時代を生きたお年寄りから聞いたり、文献を調べたりして得たことをもとにしていますが、サーミについて政治家がそんなことを言うほど、公にはネガティブにとらえられていました。だから彼ら当事者は、語りたがらないことが多いんです。でも、彼らは年々減っており、映画として残すことは急務だったといえます。
 
(取材/構成 よしひろまさみち 日本映画ペンクラブ)  
 
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