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2016.11.01 [イベントレポート]
「いかに我々が気が付かないうちに虐待しているのか、ということに着目しました」コンペティション部門『フィクサー』-10/29(土):Q&A

フィクサー

©2016 TIFF

左から アドリアン・シタル監督、トゥドル・アロン・イストドルさん(俳優)
 
10/29(土)、コンペティション部門『フィクサー』の上映後、アドリアン・シタル監督、トゥドル・アロン・イストドルさん(俳優)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
アドリアン・シタル監督(以下、監督):今回TIFFにお招きいただきまして大変光栄に思っております。私も彼も東京、そして日本は初めてです。ですから本当に嬉しく思っておりますし、こんなに大勢の方々にお集まりいただいたことも、とても光栄に思っております。皆様方、私たちの映画を気に入っていただけたでしょうか。(会場拍手)
 
トゥドル・アン・エストドルさん(以下、トゥドルさん):私も、お招きいただいたことにお礼を申し上げます。今とても感動しています。こんなに集まっていただいて、映画を見ていただけたこと、多くの方々がQ&Aに残ってくださったことを大変嬉しく思っております。ありがとうございます。私にとって題材、そして自分が出演したこと、そのとても重みのある作品がTIFFで上映されて、とても嬉しく思います。
 
Q:とても大きな社会問題と、プライベートな家族の問題を見事に融合した内容になっていると思いますが、これは実際に元となる事件があって、インスパイアされて作ったのでしょうか。この作品の着想のスタートを教えていただけますか。
 
監督:実は今回残念なことにエンドロールに明記してあったものを訳すのを忘れてしまい、皆さんにはお分かりいただけなかったかもしれないですが、実話にインスパイアされております。今回の作品で撮影監督を務めてくれたアドリアン・セィリシュテアヌ、彼自身がフィクサーだったんです。彼はこの映画の主人公のような仕事をしていました。フランスのジャーナリストの為に色々な取材の手伝いをしていて、実際にこういう女の子に出会って取材をした、という話を聞いてこの物語を考え出しました。
 
Q:その彼と二人で脚本を練り上げていったんですか。
 
監督:そうですね、彼と相談して書きましたし、彼の奥さんにも色々なアイデアを貰いました。ルーマニアの有名なスクリプト・コンサルタントの方にも携わってもらいました。
 
司会:そのスクリプト・コンサルタントの方は、今回ワールド・フォーカス部門に出品されています『シエラネバダ』のクリスティ・ブイユ監督とも仕事をされている方ですね。
 
Q:トゥドルさんはこのプロジェクトにどのような経緯で参加することになったのでしょうか。
 
トゥドルさん:電話が掛かってきて、キャスティングがあるから行ってくれと言われ、オーディションに行きました。その後2ヶ月ほど全然連絡が無かったので「ああきっと落ちたのだろう。仕方ない、あきらめよう」と思っていました。そうしたらまた電話が掛かってきてもう一度オーディションを受けて、それで役が決まりました。役作りに入ったのはそれからです。監督と色々相談しながら、また色々なことを試しながら、試行錯誤してこの役を作り上げていきました。
 
Q:マテイと主人公が話していた時に「完璧民族主義」と言われて少し鼻白むところがありましたが、ルーマニアではどのような意味を持って使われるのでしょうか。
 
トゥドルさん:この話を始めると長くなってしまいますが、私はこの映画を作るにあたって虐待というのを一つのテーマとして考えました。私の作品では一貫して色々なモラルの問題を描いていますが、この虐待、いかに我々が気付かないうちに虐待をしているか、という事に着目点を置きました。それは私がこれまで映画制作という芸術の名のもとに子供たちや動物を虐待してきたのではないかという風に思い始めたからです。
それで脚本を書いているプロセスにおいて、我々の子供たちにも虐待をしているのではないかと思い始めたんです。それは決してぶったり殴ったりの肉体的な虐待だけではなく、精神的な虐待が日々行われているのではないか、と。それは競争率の高い社会の中で、一番になりなさい、もっと頑張りなさい、もっと勉強しなさい、というような事を常に言っていると思うからです。そして、知らないうちに子供たちを追い込んでいるのではないかと思ったんです。
大人が頑張って1位を目指すのはいいのかもしれないけれど、子供たちに同じように強いていいものなのか、正直言って私はそれに対する正しい答えを持っていません。
そういったことを考え、描きたいと思ったので、主人公が食事の時に息子に水泳で頑張りなさいと言う、そこにパーフェクショナリズムを入れようと思ってあのシーンを描きました。
 
Q:プールのシーンで何を言ったのか、というのは観客がそれぞれ想像するよう創られたと思いますが、シナリオの段階でその部分は書かれていたのでしょうか。
 
監督:あのシーンで、ジャーナリストとしての彼と、義理の父親としての彼の物語をどういう風に結び付けようかと思いました。義理の父親と息子との間に距離を置きたかったんです。私は、そこに言葉は重要ではない、と思いました。例えば、同じ「手」でも叩くことができるし、頭を撫でてあげることもできる。同じ言葉でも言い方によって全然とらえ方が違うと思い、彼が言った言葉はあまり重要視していませんでした。
 
トゥドルさん:いろんなテイクを撮ったので、その都度違うことを言っていましたが、君はそのままでいいんだよ、大丈夫だよ、愛してるよ、という事を言っていました。
 
Q:スポーツの応援で鳴らすような音が、だんだんサックスの音に変わっていくのは、どのような発想だったのですか。
 
監督:何か音楽をつけたいなと思い、せっかく映画の中でサックスを使っていたので、サックスの音をつけました。ラドゥのサックスとかぶさるような、初心者のあまりうまくないサックスの音をつけることで、ラドゥと息子がデュエットしているような感じ、息子がお父さんについていくような情景を描きたいと思いました。
 
Q:映画を成功させるのには色々な要因、監督の演出力・脚本・俳優の演技力、など色々あると思いますが、監督にとって1番大事なものは何ですか?
 
監督:1番大切なものはテーマで、私の内から生まれたものだと思っています。それは私がこだわりと愛着を持って描きたいと思ったものである、ということです。私自身色々なジレンマ、問題を抱えていますが、自分自身答えは見出していません。しかしそういったものを映画を通して模索していっていると思います。それだけの思い入れのあるテーマを持って映画を創ることが大事だと思っています。
 
Q:少女の存在がこの映画のリアリズムにとても貢献していると思いますが、彼女はどんな方なのでしょうか。また彼女との撮影時のエピソードがあったら教えてください。
 
監督:この女の子を探すのは本当に苦労しました。18歳位だと既に顔が少女には見えないですし、また北西部のアクセントで話す必要がある為、場所も限定しなければなりませんでした。我々が大切にしていたのは、我々があたかも彼女を拉致した男達のように、若い女優を虐待しないようにする事でした。性的なことを知らない少女に、こういうことがあったんだよ、こういうセリフを言いなさい、と言うことは虐待だと思うからです。まず彼女のご両親に、こういうシーンを撮ります、こういうことを説明しますということをすべて伝え、僕達からではなく、まずはご両親から説明してもらいました。ディアーナには仲の良い年上の従妹がいるので、色々と話を聞いているだろうし、彼女は若くても私たちが思っている以上のことを知っていると思いますよ、とお父さんに言われ、100%了解を得たうえで撮影しました。僕達は余計な説明をしないようにして、気を使いました。実は、この役を演じたディアーナのお父さんが警察官で、この映画に登場する父親も彼女のお父さんをイメージしました。
 
Q:彼女との車の中のシーンで、何かエピソードはありますか?
 
トゥドルさん:1日目はまったく上手くいきませんでした。あのシーンをどうやったらいいか判らなかったので、ホテルの部屋で監督と、役を入れ替えながら実際にやってみました。この監督の好きなところは、答えがわからなかったら実験してみることです。試行錯誤しながら演出方法を考え、自分達で稽古してどういう風にやったらいいかやってみましたが、結局僕もどういう風に反応したらいいのか判らないままでした。
2日目、撮影が始まり、彼女がどんどん近づいてきましたが、自分は焦ってしまい、怖くて身震いした時「あ、この気持ちでいいんだ」と気が付いて、それを誇張して演じました。また彼女を叩くシーンも弱くしか叩けなかったのですが、ふいに1回思い切り叩いてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたが、それもまた自分の演技に反映されました。

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