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2016.11.01 [イベントレポート]
「音楽家たちの実像に迫ることで、台湾文化の本当の風貌を見てみたい」アジアの未来『四十年』-10/28(金):Q&A

四十年

©2016 TIFF

左から、タオ・シアオチンさん(エグゼクティブ・プロデューサー)、ホウ・チーラン監督、アイリーン・リーさん(プロデューサー)※フォトセッションのみ参加。
 
10/28(金)、アジアの未来『四十年』の上映後、ホウ・チーラン監督、タオ・シアオチンさん(エグゼクティブ・プロデューサー)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
ホウ・チーラン監督(以下、監督):皆さん、こんにちは。お会いできて嬉しいです。今回もまた、東京国際映画祭に新作の『四十年』を持って参加できたことは本当に嬉しいことです。前回は6年前に参りました。ありがとうございます。
 
タオ・シアオチンさん(以下、タオさん):私は40年前に、本当にクリエイティブな、あんなに素晴らしい音楽家の方たちとお会いできたことを非常に嬉しく思っています。その物語をホウ・チーラン監督のレンズでもう一度物語として撮っていただけたことを心から嬉しく思いますし感謝しています。
 
司会:タオさんは、映画に出てこられた歌手の方と同世代で、テレビやイベントなどに出られている大変有名な方です。監督はタオさんよりずっと下の世代になると思うのですが、プロデューサーとしてタオさんがホウ監督に映画を依頼した経緯を教えてください。
 
タオさん:私は、映画に出てきた人たちよりほんの少しだけ年上で、70歳です。またホウ・チーラン監督が今年43歳と、本作では様々な世代から台湾のフォークソングを見ることができると思います。もともとホウ監督にこの映画を撮っていたただこうとお願いしようと思ったのは、彼が以前からずっと音楽に強い興味をもっていて、特に台湾ポップスに関心を注いでいたからです。実は最初はあまり良い返事をいただけず、かなり長い時間をかけて快諾していただきました。その経緯については監督から直接語っていただきましょう。
 
監督:実は、2007年に台湾のテレビ局などと組んで6本のドキュメンタリーのうちの一部を既に撮っていたのです。ポップスのドキュメンタリーだったのですが、私が担当したのは1950年から80年に渡る歌謡曲の歴史で、その中にこの台湾のフォークソングのことも含まれていたのです。なので、台湾のフォークソングが40周年を迎えた2015年にこの映画を作るとすると、既に撮ったことのあるテーマをどのように新しい視点で2時間の映画にすればいいのかが悩みの種でした。こういったイベントは毎年あり、イベントを行うことによって自分たちの過去や青春を振り返るという想いで開催されています。しかし、映画を作り上げるには何か新しい視点が必要なため、非常に躊躇しました。そして思いついたのが、現在からスタートして過去を振り返るというものです。フォークソングの過去は、現在と対話をするためのものである…という視座を持って、撮影を引き受けました。なので、2015年の40周年のイベントを主にして撮りました。
 
Q:台湾では劇映画と記録映画の両方を撮る監督は多いのでしょうか?また、監督自身としては劇映画と記録映画は区別して撮られているのでしょうか。
 
監督:2003年に映画を撮り始め、最初の数本はドキュメンタリーと実験映画を撮っていました。劇映画を撮り始めたのは2007年からで、その短編を見た評論家から「非常にドキュメンタリーっぽい」と言われました。また、ドキュメンタリーを撮った時にはある評論家に「劇映画っぽい」と言われました。僕にとってはドキュメンタリーであろうと劇映画であろうと、あるいは実験的な映画であろうと、自分の考え方や世界感を表現することに変わりはありません。なので、これらの区別を第一に考えているわけではありません。僕が思う劇映画とドキュメンタリー、この2つの違いというのは、劇映画を撮るということは己を絶えず出していくという意味合いがあって、また一方でドキュメンタリーは絶えず自分が何かを与えてもらえるというようなところがあります。これからもこの2つをうまく混ぜ合わせて撮っていきたいと思っています。
 
Q:監督は過去と現在を繋ぐというテーマのもと、この映画を作りたかったとのことですが、それは40周年のあのイベントを撮った後でそういう考えが浮かんだのでしょうか。それともその前から考えていたのでしょうか。
 
監督:この映画のタイトルは『四十年』で、2015年の40周年イベントにフォーカスしています。しかし僕が一番映画として撮りたかったのは、この映画を通して人々の人生を観るということです。もちろん個々人の人生の中で、当時の社会や歴史、文化が必ずその人たちの運命に大きな作用をしています。そして2015年に台湾フォークの40周年の記念イベントが開かれ、それを撮るということにフォーカスしつつ、その人たちの過去を振り返り現在と対話をする。この過去と現在を両方観ていくというのは、自然に僕の撮影の中で出来たことです。
 
Q:この映画を通して、台湾の音楽文化のみならず、台湾の歴史そのものについていろいろな話を聞くことができます。若い世代に台湾の音楽史、また、台湾の歴史そのものを伝えたいという意図はありましたか?
 
監督:この映画の中で撮影した様々な音楽家たちの実像に迫りたいと思いました。歌手として、音楽家としてだけではなく、実際にどのように生活して日々をおくっているかということ、そこを描くことによって台湾文化の本当の風貌というもの、すなわち顔を見てみたいと思ったわけです。そのためには音楽家たちに貼られたレッテルなど、様々なものを取り除いていく必要がありました。そこから本当の人間としての顔が見えてくる。何人かの被写体を通じて台湾文化そのものを伝えられると僕には思えたのです。
 
Q:この映画を撮る上で様々な難しいことがあったと思いますが、どのような困難がありましたか。またどのような収穫がありましたか。
 
監督:難しかった点は、かつてフォークソングを牽引していた人たちの現在の生活を撮ることから始めつつ、そこからフォークソングの時代へ入っていかねばならなかったことです。今の音楽家たちのリアルな実情を撮るというということで、素材が膨大に膨らんでいきました。たくさん撮り続けて、並行して編集作業に取り掛かっていました。実はこの作品の編集には約1年を要したのですが、その中で1番難しかったのは観客がこの映画をどのように観たら1番心地よく、分かりやすくなるかということです。その中で自分が伝えたいことをどのように伝えるか。編集をする上では難しかったです。
収穫については、かつてのフォークソングの時代の人たちが今もまだ音楽に携わっていること、歌への情熱が衰えていないこと。それが素晴らしいことだと思いましたし、自分にとって非常に励みになりました。
 
Q:今後、50周年のイベントがあったときに何を伝えたいでしょうか。
 
タオさん:皆さんと20年前に約束したのですが、10年に1回は必ずこういった大きなイベントをやりましょうと言いました。30周年の時にリャンさんが亡くなったりと、いろんなことがありました。そういう中で人の命がいかに儚いものであるか、人はいつまで生きられるか分からないとひしひしと感じました。でも、亡くなった方々が残した歌たちは生き続けていきます。だから歌い続けていきましょうと、私たちは強く思いました。40周年のイベントの時点でも、何人もの方が亡くなり、私よりも若い人たちも天国に召されました。50周年の時のスローガンは、「歌える人が自由に歌いましょう」という風なことを考えています。

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