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2016.11.03 [インタビュー]
ルーマニア映画『フィクサー』があぶり出す、ジャーナリズムの功罪
ルーマニア映画『フィクサー』  
ルーマニアのジャーナリスト志望の男が、未成年売春スキャンダルをフランスのテレビ局に売り込むが、スタッフの通訳を務めながら取材するうち、人間のモラル、良心の壁に突き当たる。ユーロ社会の現実を巧みにとらえた監督アドリアン・シタルは、ルーマニア映画界の“ポスト共産主義時代”の新鋭として注目される存在。テレビ映画、劇場作品を数多く手掛けている。ここでは際立った演出力で、倫理に苦悩する男の軌跡を誠実に紡ぎだす。
 
――作品が成立するまでの過程から伺います。
 
アドリアン・シタル監督(以下、シタル監督):この映画の題材は“abuse”、人を傷つけることです。本作は撮影監督アドリアン・セィリシュテアヌの実体験がもとになっています。彼がフィクサーとしてジャーナリストを仕切ったとき、ジャーナリズムの名のもとで、追求したいがために周りの人間を傷つけてしまった。良かれと思ってやっていても、果たして正しいことをしているのだろうかという議論になりました。
 
――議論から始まったのですね。
 
シタル監督:私自身もアートの名のもとに映画を作っていますが、行っていることの正否のジレンマは常に感じているわけです。そんな話をしているうちに、自分たちの子供の話になりました。大人は競争社会に出ていこうとする子供たちに、「これはしておきなさい」、「こういうことはしてはいけませんよ」とよく言います。広い意味で、これも子供を傷つけていると考えるようになりました。議論がそこまで広がって、映画に結実したのです。
 
――撮影監督の実体験をもとに、主人公はフランスのテレビ局に情報を送り込んでフィクサーになるわけですが、ルーマニアとフランスがユーロというひとつの共同体になったがゆえに起こる売春、“abuse”とも感じました。
 
シタル監督:それがメインのテーマではありません。撮影監督の体験はルーマニアがまだEUに入る前の話でした。ただリサーチをしたところ、変わらずに行われていました。ストーリーを描くなかで、人間本来の行動、心理をもっと追究していきたいと思っていました。
 
――もう少し、詳しくご説明ください。
 
シタル監督:「ジャーナリズムのもとで」と言うとカッコよく聞こえますが、ジャーナリズムは所詮お金のためだったりもします。それが正しいか否かの答えは、私にはありません。そうしたことを考えると、大きなジレンマを感じます。例えばヨーロッパでは、子供のしつけのために叩くこともします。しつけるといいながら、これはある種の虐待です。ひっぱたいて従わせるわけですから。正しいか否かの答えはなかなか出ません。私は、観客の皆さんひとりひとりに、この作品の内容から“abuse”に対する疑問を抱いてほしかったのです。
 
――そうしたキャラクターを演じられるにあたって、密に監督と話し合いをされましたか?
 
トゥドル・アロン・イストドル:監督と綿密な話し合いを行いましたが、最終的には「あなたの好きなように演じなさい」と言われました。私はこのキャラクターが完璧主義者だと感じました。数か月かけて準備をして、次第になりきることができました。
 
シタル監督:自分たちが抱えているいろいろなジレンマ“abuse”を反映しようと考えたのですが、撮影監督自身が完璧主義者なのです。完璧を目指しすぎて周りがイライラするわけで、「これもひとつの“abuse”だ」と考えました。脚本は、ライターである撮影監督の奥さん、撮影監督、スクリプト・コンサルタント、そして私の4人でつくりあげました。製作期間のさまざまな局面で、“abuse”について考えさせられました。ただこういうテーマは10年前には考えていませんでした。“abuse”か否かはグレーな領域に入るので自問自答というか、この作品が少しでも考えるきっかけになればいいと思っています。
 
――最後に、監督は「ポスト共産主義時代の新鋭」と形容されていますが、どのようにお考えになりますか?
 
シタル監督:ルーマニア映画界には少なくとも10人ほど、新鋭と呼ばれる存在がいます。その中のひとりと認めてもらうのは非常に嬉しいことですが、際立った監督は少なくないですよ。
 
(取材/構成 稲田隆紀 日本映画ペンクラブ)  
 
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