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2016.11.09 [イベントレポート]
「人の生き死にという今まで避けてきたテーマを、今回あえて映画にしました」日本映画スプラッシュ『退屈な日々にさようならを』-11/1(火):Q&A

退屈な日々にさようならを

©2016 TIFF

 
11/01(火)、日本映画スプラッシュ『退屈な日々にさようならを』の上映後、今泉力哉監督、市橋浩治さん(プロデューサー)、内堀太郎さん(俳優)、松本まりかさん(女優)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
司会:今泉さん、改めていまスクリーンで観られて、何か新たなご感想はありますか?
 
今泉力哉監督(以下、監督):去年初めて演劇をやらせていただいて、演劇はよく生ものだと言われているので、やるたびに芝居も変わってくるのですが、いま映画をお客様と一緒に観て、試写で観た時とはまた違うなと。映画はモノ自体は一緒なのに、観る場所によって違いがあるなと感じるものがありました、
 
Q:カレンダーだったと思うのですが、壁にかけてあったものが途中で落ちたのは意図的だったのでしょうか。
 
監督:落ちましたね(笑)。あれは現れた次郎だと思いました。なので、使わない手はないと。逆に落ちなかったらこの画はあの時どうやって落としたのだろうと。でもあれは、落ちましたね。
 
Q:今回これだけ「死」を大きく取り上げることになったきっかけや、理由みたいなものはあったのでしょうか。
 
監督:今まで映画で人が死ぬシーン描くことを避けてきました。というのは映画で死を扱うことは安易な部分があると思っていたからです。実際自分が歳をとってきて、身の回りで例えば大学の同級生が31、2歳で亡くなったりと、そういう経験が蓄積されてきました。でも、映画でやるのはちょっと恥ずかしいと思っていたんです。
それが去年、今回の映画と同じような、いなくなるとか、死ぬとか、知らなければずっと生き続ける…といったようなテーマで演劇をやってみたんです。演劇って自分の中の感覚では、映画よりも恥ずかしいことができるというところがあります。それから、twitterやネットの情報で、世界の巨匠とか女優さんとか俳優さんが亡くなったことを、翌日に知るような現状というのにも何か、「こうやって知るって何なのかな」という違和感があったり、そういういろんなことがあって、具体的に言うのは難しいですが、このタイミングで描こうと思いました。
生き死にについては、他の方もたくさん扱っているテーマなので、自分なりの何かがなければやることもないと思っていましたが、今回、その(死を知る)タイミングであるとか、知る、知らないということについてやってみたいと思って、あえて撮りました。
 
司会:まさにその知る、知らない…ということについてのシーンはとても印象的です。松本まりかさんが台詞を発せられて、それは「生きている者のエゴだ」と返されていますが、あのような台詞はどの程度腑に落ちているのか、あるいは監督とかなりディスカッションをされたのか、その辺りのことを教えていただけますか?
 
松本まりかさん(以下、松本さん):腑に落ちたかと言われれば、全然落ちてないですよね。
 
監督:言い返されることについては?
 
松本さん:もちろん自分自身、青葉も何で来たのか分からないんです。次郎が、義人が死ぬ時も、受け入れてはいるのだけど、受け入れられていない。私の主観的には、無理やり受け入れようとして、言葉では説明がつかない状態で、分かっているような分かっていないような状態でずっと来ていました。それで彼の実家に行って、告白までしてしまうわけです。台詞を見た時も、今泉さん、よく書いてくるなと思いました。
「何しに来たの?」って言われたとき、「わかんないです」って言うんです。たぶん会話しているうちに、自分が「分からないんだ」ということが分かってくるというか。何か自分の中で納得して、死んだってことを知らなければ、「みんな幸せじゃない?私も幸せだし、私も会ってみたかったし」っていう、何ていうのかな、頭より先に、本能的に行動が先に出てしまっていた感じです。話しているうちに自分が分かってきたという感覚で、だから、腑に落ちたかと言われれば、正直ほんとにわけが分からない状態でやっていました。
 
監督:最後の揉めごとというか、あのシーンは最後まで書き直しをしていました。分かんないというのが一番正しいんだろうと思ったし。「わかんないです」という勢いで、あの2人のやり取り、言わせる台詞なんかは本当に最後の方に書いた気がしていて、脚本があがってみんなでディスカッションをしていたのですが、知られない方がいいなら、行かない方が一番いいよねっていう。向こうに行くことは、やっぱりバラすことになるっていう。行かなきゃいいじゃないかって話はいっぱい出ていました。でもやっぱりそれよりも自分の知りたさだとか、わからないけど行っちゃうというところがあったのかなと。そこに違和感を持たれないようにすることが難しかったです。亡くなった後に届いた郵便物とか、いろんなことが1つの行動を促しているように、違和感なく見えればなというのはありました。
 
Q:ポスターを最初に観ていた時、ハーレムっぽいなと感じました。死の反対には生があるというのがポスターに出ていたのでしょうか。
 
監督:ポスターについてもいろいろアイディアがありました。群像劇を作ることが多いのですが、どの人物にもその人の人生があって、この作品の中では梶原と今泉、太郎と次郎という2つの大きなパートがあり、その2つをポスターで表現したいと思いました。
ポスターの下の部分の場面は、顔が映っているシーンではないんですが、アドリブが多くて、もともと「牛乳が足りない」というのはやろうとはしていましたが、実際に松本さんが返して注ぐという演技自体は自然に出た行為でした。映画なんて所詮は作り物ですが、そういう誰かのために自然に何かをするシーンが結構あって、自分の中ではグッときて、使いましたね。
 
Q:ビデオレターのシーンはどのような気持ちで演じられたのでしょうか。
 
内堀太郎さん(以下、内堀さん):撮影一週間前から毎日、今泉さんからビデオレターの内容が送られてきて、前日の夜にこれが決まりだからといただきました。ビデオレターについては、すごくずるい人だなと感じました。彼なり真摯にビデオレターを残したつもりなのかもしれませんが、青葉にとっては、なんでビデオレター?と思ったと思います。そこを次郎は次郎で彼なりに考えてあのようなかたちで残したのだと思いました。
 
監督:確かに最初は手紙でした。話にも出ましたが、もしかするとあれは自分勝手な人たち(映画監督役が多く出ていますが)のエゴやナルシシズムのような部分だったのかもしれません。どこまで彼女の寝顔を撮ろうと思っていたのかも分からないですが、映画を撮ることをやめた人だけど、やっぱり映像を選んだ人だし。あと、書いている時は気づかなかったんですが、劇中で『シザーハンズ』の話をしていて、たまたま造園業と映画の話だったというのも後から知って、いろんなことが後から後から…という映画でした。
 
Q:パンの耳だけ食べる人もいれば耳以外を食べている人もいて、青葉は耳を食べなかったのに、次郎さんが亡くなってからは彼のように耳しか食べなくなっていました。監督が自首した後、青葉はパンのどの部分を食べると思いますか。
 
監督:それは松本さんに聞いた方がいいかもしれないですね(笑)。これを言ったらびっくりするかもしれませんが、あのシーンは台本にパンの耳のことは一切書いていないんです。松本さんが勝手にいきなりパンの耳をむき出していて。撮影も一度しか撮っていません。それから、実際は松本さんはパンの耳が嫌いだとこのあいだ聞きました。
 
松本さん:あのシーンが撮影初日で、いきなり自殺のシーンからということで私たちも相当ナイーブになっていました。それでいきなり台本にない食パンを食べてくれとなったのですが、食欲がなくて、耳なんてもっと食べたくなかったし、むいてあげちゃいました。こんなに長回しされると思っていなかったのですが、義人が耳をむきだして、耳は自分で食べて中の部分だけくれたんです。最後のプレゼントではないけど、その時に凄くキュンときてしまって。
 
内堀さん:ほんとにあの時青葉に食べて欲しいなと思いました。ご飯を食べていないと思って、食べられるものを本当に食べて欲しかった。
 
松本さん:義人が亡くなったあと、パンの耳にてついては覚えていなくて。そんなに意識していなかったのですが、またパン食べてって言われてから普通に食べたのだと思います。
 
Q:死をテーマにする作品にしては冒頭からコメディタッチで驚いたのですが、後半になるにつれて重い空気になっていきました。最初からそういった流れにしようという意図があったのでしょうか。
 
監督:脚本を書くとき、群像劇の場合は後で時間をいじったりひっくり返したりすることもあるのですが、今回は脚本の順番を動かしてはいません。やっぱり自分はコメディが好きで、笑える部分を意識して作ろうと思っています。笑いの種類はいろいろありますが「このシーン面白いでしょう」「ここ笑いどころです」みたいなことではなく、中の人は一生懸命だけど空回っていて、本人たちが気づいていないというのが一番面白いと思っていて、そういうことをやりたいと思っています。
 
(カネコアヤノさんによる主題歌の披露)
 
司会:それでは、締めの言葉をお願いします。
 
市橋浩治さん(以下、市橋さん):11月19日から新宿ケイズシネマで9日間上映します。感想をSNSなどで拡散していただければと思います。盛り上がれば単独公演もあり得るのでよろしくお願い致します。
 
監督:今日は福島でお世話になった自分の両親も来ているのですが、たまたま母方の祖父の命日でいろんなことが重なるなと感慨深く感じていました。このタイトルになっているエンディングの曲についても、歌詞と青葉がやってくることがリンクしているし、2012年の曲で、「失恋の曲なのでしょうか?」カネコさんにうかがったところ「実は言ったことはなかったけれど、震災の歌だ」とおっしゃっていて。平穏な日常がそうなってしまったという、いろいろな意味があるけど、すごくリンクすると思って使わせていただいています。今日は観に来ていただいてありがとうございました。是非映画を広めていただければと思います。
 

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