10/26(月)、アジアの未来『ブルカの中の口紅』の上映後、アランクリター・シュリーワースタウさん(監督/原作/脚本)、アハナー・クムラーさん(女優)、プラビター・ボールタークルさん(女優)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
アランクリター・シュリーワースタウ監督(以下、監督):今日はお越しいただきありがとうございます。実は、今回が最初の上映会であり、今日皆様にご覧いただけたことを大変うれしく思います。また、その最初の上映会が東京国際映画祭だったことを大変光栄に思います
アハナー・クムラーさん(以下、アハナーさん):じつは今日、共演者であるプラビターと作品を初めて観たのですが、このようなパワフルな映画に出演する機会を与えていただいたことに対し、監督にお礼を申し上げたいと思います。このような映画がインドで作られたということに、言葉にはならないほど感動しました。ちょっと泣きそうになっています。映画の中で描かれている女性たちが日々直面している問題や課題というのは、女性なら誰もが直面する課題でもあります。ですから世界中の皆様にメッセージが伝わればいいと願っております。日本のみなさん、本当にありがとうございました。
プラビター・ボールタークルさん(以下、プラビターさん):みなさん、こんにちは! ここに来られて大変うれしく思っています。私も初めて観ましたが、泣きました。感動しました! みなさんも楽しんでいただけたでしょうか。監督にお礼を申し上げます。
今回私が演じた女性は、私とはずいぶん違います。大学に通っている世代としては近いですが、あれだけ違う役どころを演じることは私にとってはチャレンジでした。初めてこの映画の脚本を読んだとき、直感でこの映画に是非とも出たいと感じました。脚本も大好きでしたし、この映画を観て、より大好きになりました。皆さん今日はお越しいただきありがとうございます。
司会:この映画がインドで一般上映できるのか気になるのですが、どうなんでしょうか。
監督:今インドでの劇場公開に向けて頑張っています。上映できることを願っています。
Q:この映画が完全にコミックとして笑えるようになるのは、あと何年くらいかかりそうですか。
監督:とても難しい質問ですね。インドも少しずつ変わっていくのではと思っています。
インドは多様性に満ちた国ですので、この映画で描かれている問題をすべての女性が経験しているわけではありません。大都市に住んでいる人もいれば、そうでない人もいます。ほかの人より自由を持っている人もいれば、本当に辛い人生を送っている人もいます。
ですから、この映画の中で描かれている女性たちの状況は、ある人生を切り取った一片だというふうに捉えていただければと思います。とはいえ、インドの女性が厳しい状況に置かれていることに違いはありません。だからこそ、映画や小説や、さまざまな芸術や文化を通して新たな対話が生まれ、現状を切り開いていく動きにつながればと切に願っています。
アハナーさん:監督がおっしゃるように、インドには多様性があり、大都市に住んでいる女性の状況と小さな村に住んでいる女性の状況は違います。私たちはムンバイという大都会に住んでいますので、映画に描かれているような状況にはなっていませんが、小さい村に住んでいる女性は、同性の女性にさえも悩みや感情を伝えられないことが多々あります。私やプラビターは、何か悩みがあれば電話で相談したり、友人が遠くにいてもインターネットを通じてFacebookなどで自分の気持ちを伝えたりできます。ですが、小さい村に住む女性はさまざまな困難に直面していながら、それについて語ることもできないでいるのです。
ただ、いまインドでは変革のうねりが生まれてきています。いろいろなことが変わりつつあるのです。だからなおさらこういった映画によって、芽生えだしている変革や対話の兆しに拍車がかかり、男性と女性との間の話し合いによって、女性が直面している問題に対する理解が生まれ、いろいろなことが変わっていけばいいなと願っています。
プラビターさん:私もさまざまな変化が起きているように感じます。特にテクノロジーが発展してきたことで、大都市に起きている状況が小さな村にも伝わっていき、ライフスタイルも徐々に変わってくるのではないでしょうか。女性も外に出て、発言するようになり、職業を持つようになっていくのではないかと思います。私自身はとても自由な家風に生まれましたから、この映画で描かれているような問題は感じたことがないのですが、そうは言っても、やはり自分が女性であり、家には家長である父親がいるという意識がもちろんあります。男性が周囲の人々にからかわれることなく、家で子供の面倒を見られるようになり、女性が外で仕事ができる日が早く来るといいなと思っております。
Q:監督自身が、女性であることで生じる問題に直面した時に、夢を見ることと現実を見ることに対してどのように折り合いをつけてきましたか。
監督:私は、インドに生まれた女性として、普通ではない選択をしてきたように思います。若くして結婚し子供を儲けることもなく、大都会で自活しながら脚本を書いて女性に関する映画を作るという、険しい道を歩んできました。この13年間、私は映画業界で自分の地位を築いていく努力をし、過酷な現実にもかかわらず自分自身の夢を信じながら生きてきたのです。とは言いましても、厳しい現実のなか、自分の夢を追い求められない女性に対し、私は心から共感の念を持っています。だからこそ、社会が変わっていかなければならないと考えています。自由に生きたいけれど、社会の状況に縛られて、やむなく夢を諦めて生きている女性もたくさんいて、ときに我々は因習を打ち破る勇気がないのだと判断することもあります。そうですね、理想は、現実に囚われず夢を追い求めるということですが、実際は夢の実現には代償が伴うものです。ですから人は夢の実現のために現実に立ち向かっていかなければならないのです。私はインドだけではなく、アジアや世界中の女性が、夢を追い続ける勇気を持ってもらいたいと願っています。
Q:最近、女性の監督の貢献にはめざましいものがありますが、女性の監督ならではの視点とはどんなものだとお考えでしょうか。
監督:すべての女性監督が女性ならではの視点や観点をもって映画を作る必要はないと思いますが、ただ、個人的には、女性のまなざしが大切であると考えています。それは例えば、物語の展開の仕方や、誰の視点から描かれているかといったことや、女性の描かれ方といった点においてですね。インドの主流の映画では、ほとんどが男性の視点から描かれていて、カメラも、女性の体をなめるように映して物象化し、女性は一人のアイドルだったり、犠牲者だったりヒーローだったりと極端な描き方で、現実にいる生身の一人の女性としてのテクスチャーを描き出す繊細さが欠如しているように感じています。なかには女性監督であっても、無意識にステレオタイプな視点から女性を描いていることもあります。大切なのは、登場人物の視点をどれだけ深く吟味できるか、ということであり、監督の性別にかかわらず、それは可能なのです。