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2016.11.01 [イベントレポート]
「どうしても抗えないものは僕にとっては雨、その人生に抗えないものにゆられてしまっている二人の物語」アジアの未来『雨にゆれる女』-10/28(金):Q&A

雨にゆれる女

©2016 TIFF

10/28(金)、アジアの未来『雨にゆれる女』の上映後、半野喜弘監督、青木崇高さん(俳優)、大野いとさん(女優)をお迎えし、Q&Aが行われました。⇒作品詳細
 
青木崇高さん(以下、青木さん):まずご来場の皆さんには、最後までご覧になってくださり本当にありがとうございました。お客さんと一緒に、そしてこんな大画面で見るというのが初めてだったので、ドキドキしながら見ていたんですが、僕自身いろんなことを改めて発見しながら、撮影当時のことを振り返ったり、健次がその後どうなったのかといったことを思い浮かべたりしながら見ていました。大変充実した時間でした。ありがとうございました。
 
大野いとさん(以下、大野さん):私もこんな大きなスクリーンで見るのは初めてだったので、本当に違った作品のように感じられました。すごくいい作品になったと私自身思えたのと、映像の光と影の具合がすごく印象的で、改めて「ああこのシーンはこういうことだったのか」と目で確かめることができ、すごくよかったです。観客の皆さんと見るというのもすごくドキドキしたのですが、本当に楽しませていただきました。本当にありがとうございました。
 
半野喜弘監督(以下、監督):ありがとうございました。ようやくこうして皆さんに見ていただける日が来て感無量です。久々にこの作品を観たのですが、健次と理美が僕のところに帰ってきたなっていう、そんな気持ちがしました。
 
司会:監督にお聞きします。監督はこれまで音楽担当として数々の映画製作に携わってこられましたが、人の作品に音楽をつけるという作業と、自分で演出をして音楽を自分でやるというのはどう違って、どっちがやりやすかったとかはあるのでしょうか。
 
監督:音楽をつけるということに関しては人の作品の方が圧倒的にやりやすいです。自分の作品というのは、今回であったら脚本を書いて、演出をして、撮影をして、そのあとに編集もしてっていう数々の工程を進める中で、物語のファーストインプレッションというか、初期衝動のようなものがどんどん薄れていってしまうので、音楽をつけるときには自分がかすかすになってしまっていました。だからなるべく、毎日音楽のことを考えないように心がけながら作業をしていましたね。
 
司会:映画製作では音楽は一番最後につけるので、難しさがあったいうことですね。確かに監督・主演とか、監督・脚本とか、複数の役割を兼務する方は結構いらっしゃいますけど、監督・音楽っていうのは、本格的な劇映画ではあんまり聞いたことがないですよね。
 
監督:そうですね。珍しいというか、たぶん少ないんじゃないかと思います。僕はこれまで映画音楽を10~20年近くやってきたんですが、あるとき脚本を書いて、映画撮りたいんだっていうことを周りの人に話したときに、バカにしたわけではないんでしょうけど「映画を撮ることと音楽を作ることは違うから、そんな簡単にはできないよ」ということを最初はすごく言われました。
 
司会:でもやっぱり監督をやりたいという思いが募って今日に至るということですよね。
 
監督:そうですね。僕は音楽家なので、僕個人の視点でということなんですが、僕にとって映画と音楽というのはほぼ変わらないと思っているんです。音楽というのは「視覚のない時間軸」を持った「時間」の芸術なんですね。一方で映像は「視覚芸術」という要素もあると思うんですが、やはり芸術という名において「時間軸」を持っているっていうのがすごく音楽と近いと思っています。なので、僕はむしろ写真家が映画を撮るというよりも音楽家が映画を撮るという方が僕は近いと思うんです。時間軸をどういうふうに利用して、どういうふうに人の心を誘導して、ある結末につなげるという作業は、瞬間瞬間の連鎖ではなくて、やはり大きな時間のうねりの問題であって、それは例えば60分や90分の交響楽と、映画の持つうねりというものは全く同じだと思っています。なので、僕の中ではまるで交響曲を書くような気持ちで脚本を書いていて、音楽を指揮するように演出をして、ていう感じで作業をしていました。
 
司会:ある意味すごく贅沢な、ゴージャスな体験ですね。
 
監督:そうですね。ただ映画製作はいろんなことが具体となって、肉体となって目の前に現れるので、その部分はすごく楽しかったし、驚きもあったと思っています。
 
司会:実は今回の東京国際映画祭は半野さん祭りみたいな側面もありまして、映画祭としても大変お世話になっております。この他にもアジア三面鏡の中の音楽もやっていただきましたし、クロージングの「聖の青春」の音楽も手掛けていて、お世話になっております。
 
監督:ありがとうございます(笑)。
 
司会:それと実はこの映画祭、青木さん祭りという側面もございまして、もう一本『雪女』にも出演されています。実は監督の杉野希妃さんは以前「アジアの未来」に出品されて、今回はコンペティションとへ出品とステップアップをされているので、半野さんもぜひまたご出品いただければと思います。青木さんから見ると半野さんは監督・音楽で、杉野希妃さんは監督・主演という、監督オンリーではない方の作品に今回2つも関わって、両方この映画祭に出品されていますね。
 
青木さん:そうですね、僕は半野監督や杉野監督と一緒にインタビューを受けていると、だいたい「音楽と監督、主演と監督、を兼務されて大変じゃないですか」「演じるときとか、演じた後またモニターにもいかなきゃいけないので、スイッチの切り替えてやっています」といったやりとりがされるんですが、それは実は僕も同じで、目の前の人が監督だったり役者だったりするので、僕なりに切り替えてやっているんです。半野監督の演出で面白いと感じたのは、セリフの出しかたや、語尾の切り方です。精神状態を表すための整理のような意味合いだと思うんですが、語尾を切ってくれ、と指示がありました。それによって相手をリフューズ(拒否)するという効果があると言われました。
 
司会:これは相手との距離を保つような意味合いなんでしょうか。
 
監督:これは実は音楽や歌における、ある種の理論なんですけれども、メロディーの抑揚をきかせたり、次のメロディーの頭の部分を印象的にするのは、メロディーによるものではなくて、その間の休符が担う役割なんです。空白部分の長さをどれくらいにするかで、次の発音された音のインパクトが決まります。今青木くんが言ったように、言葉の語尾に息を残さないというのは、相手に対してもう一度自分に言葉を投げかけてくることを拒否する効果があるんです。逆に、語尾に「~だよねー」のように息が多く残った形で話すのは、相手からの答えを期待するか、もしくは会話の継続を期待するときの話し方なんです。なので今回の健次の場合、周りの人からもう一度話しかけられたくはないときは必ず語尾は息を残さずスパッと切るべきであって、一方で理美という女に心を開いた瞬間、彼の言葉の語尾には息が残る、という演出をしました。
 
青木さん:これは決して音楽家からの視点だけではなくて、俳優として演じるということはセリフや言葉、音などに自分の衝動を乗っけるということなので、セリフをしゃべる、心を使って相手に伝える、伝えたくない情報をカットするということを考える上で、すごく有意義なアドバイスをいただいたと思っています。
 
司会:大野さんはいかがでしょうか。同じような指導がやはりあったんでしょうか。
 
大野さん:リズムについては監督からいろいろ聞いて教えてもらっていたのですが、それを理解するのは、音楽の世界にいない私からしたら深くて難しいなぁと感じていました。ただ確かにそうだなと、新しいことが知れてよかったなと感じています。
 
司会:それではここで会場からの質問に移ります。
 
Q:すごく緊張感のある見ごたえのある作品でした。皆さんにお聞きしたいのですが、お互いここがすごいな、ここに驚かされたなと思ったことはありますか。
 
監督:青木くんに関してですが、僕たちはこの健次というキャラクターをどんな男にして、どう映像の中で表現しようかとクランクイン前から二人で何回も話をしていたのですが、撮影初日に会ったときに彼はもう健次になっていたんです。それもどんどん撮影を重ねるにつれて、青木くんのもつキャラクターがどんどん固まってきて、ある時もう僕の手を離れて健次という男が目の前にいるような感じがしました。ある日「じゃあここはカメラがこっちから回っていくから、健次はこのテーブルを分けて奥に回ろう」と指示をしたら、青木くん、いや健次が「いや監督、健次は左には回らないですね」って言い出して(笑)、顔を見たらその目がもう健次の目だったんです。なので私は「健次が言うならそうしよう」と伝えて撮影を進めました。撮影前に私は青木くんに対して、いろんな点を否定するような姿勢をわざととるようにして、「主役としてそこに立つということは何なんだろう」ということを二人で延々と突き詰めるようなことをしたんです。演技がうまいのはわかっているし、彼なら全てに対応できるだろう、でも俺たちの映画の健次って主役なのか?主役の男が立っているというのはどういう空気なのか?という点を延々と話し合いました。そして撮影初日に青木くんが主役感に溢れた佇まいでカメラの前に立った時に「あ、この映画は大丈夫だな」って感じました。大野さんに関しては、最初、半分くらいはほぼ毎日泣いていたのを覚えています。でもそれは、僕たちが言ったことを僕はできていると思ってOKと伝えたことでも、日々やっていく中で彼女の中の理想がどんどん大きくなっていって、そこに追いつけない自分が悔しいからと言って泣いていたんです。それである日、理美がビラをもって急に健次を問いつめるシーンがあるんですが、僕と青木くんはこのシーンで大野さんを理美に変わらせて、彼女のもう一つの何かを爆発させないと、この先話が進んでユリになっていったときに、彼女の生身が出てこなくなってしまうと感じて、テストのときに彼女に「あなたの演技が健次に届かなかったら、脚本では『健次が階段を降りて家から出て行って逃げる』と書いてあるけど健次は逃げないから」と伝えて臨ませたんです。それで1回やってみたんですけど、全然伝わらなかったんでしょうね、青木くんが「全然逃げれないですね、この家にあと10年は暮らせますね」って(笑)。そういう僕らの決意があって、それを彼女に強いたんですが、最終的には本当に健次が、そこの場にいたたまれないっていうところまで追い詰めることができたので、その撮影から大野さんは完全に理美ではなくユリという生身の女に変わったんだと思います。その日から終わるまで、彼女が泣いている姿を一度も見ていないです。
 
司会:後半からは泣かずに、吹っ切れた感じがありましたか。
 
大野さん:泣いていたことを忘れていました。青木さんを追い詰めるシーンでは、私はやっているつもりなのに、なんでダメなんだろうと思っていました。役のこともあって、休憩中も青木さんとはお話しをしないようにしていたので、正直言うと青木さんが苦手ですごく最低な人だと思っていました(笑)。でもホテルのシーンで「お前を殺すかもしれへん」って言ってライトで真っ赤な青木さんの顔を見たときに、青木さんのことすごく嫌いだったけど、あの表情を見てから、青木さんってやっぱりすごい人だなとすごく思ったのを思い出しました。
 
青木さん:以前、酒を飲んでいるときに「また仕事やろうよ」みたいに話すようなことって、今日や明日や映画祭の期間中も、世の中いたるところで起こってる話だと思うんですが、この映画に関しては酒の場だけの話にせずに、こうやってプロジェクトが動き出したこと、そしてクラウドファンディングのような仕組みもあってしっかりとした作品になり東京国際映画祭に選出されたことを、本当に嬉しく思っています。それだけの言葉だけではない実行力のある監督で本当によかったと思います。もちろん作品の内容も皆さまがご覧になった通り、本当に才能の詰まった作品になりました。撮影をしている間ではわからない、編集や音楽や色味も含め、すべて完成した際は度肝を抜かれました。僕たちの出会いと同じように、この作品が何か、どんどん国際的な出会いにつながるものであればそれ以上の喜びはありません。
 
司会:次のご質問いかがでしょうか。
 
Q:冒頭がフランス映画のようで、色彩も豊かですごい作品だと感じました。この「雨にゆれる女」というタイトルは、監督さんから役者さんに対してどのようなニュアンスで説明されていたのでしょうか。
 
青木さん:僕はタイトルについてはよく聞いていませんでした。この作品は健次の話ではあるのですが、健次らしいタイトルにはしないと、監督が最初の頃おっしゃっていたことは覚えています
 
監督:「ゆれる」ということは心が揺れたり人生が揺れたりということなのですが、この映画の一番のテーマとなっている、人間は不公平という大前提の中に生きていることをタイトルで表したいと考えていました。生まれた場所、生まれるタイミング、色んな不公平があって、その中でも人は生き続けているのですが、その中でも暮らしで「すべての人に平等に訪れて、でもどうしても抗えないもの」は何だろうって考えたときに、僕にとってそれは「雨」だったんですね。雨は裕福な人にもそうでない人でも、背の高い人にも低い人にもすべての人たちに、平等に抗われることなく落ちてくるものであって、その雨というものに抗えずに揺られてしまっている二人の物語ということを表しています。
 
大野さん:実は「雨にゆれる女」の題名の前に違う題名があったんですが、その題名で始まるかなって思っていたら「雨にゆれる女」になったので、何で変わったんだろうというのを思っていました。ただ、監督は雨が好きだとおっしゃっていたので、それで雨を入れたのは知っていたんですが、題名について聞いた内容は深く思い出せません(笑)。雨に濡れるとか、雨が降るとか、そんな表現ではなく「ゆれる」という表現はなぜなんだろうと思ったときに、私は健次自体が雨のような存在で、健次という存在で気持ちが揺れてくるということや、雨が降っている中で出会ったり、健次との出会いで人生が変わったりするので、そういった物語の要素から「雨にゆれる」というタイトルになったのではないかと理解していました。
 
司会:「アジアの未来」という部門は日本映画も対象なのですが、本当に元気のいいアジア映画の中に、日本映画も入れて競い合う部門だと思っていて、そうした部門に出品される映画としてふさわしい作品だったと思います。今日のワールドプレミアが強い土砂降りの中で行われたという点も、非常に記憶に残る一日になったのではないかと思います。ありがとうございました。

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