Close
2016.11.01 [イベントレポート]
「この作品はフィクションとリアリティの狭間にあると思います。」CROSSCUT ASIA 『フィクション。』-10/31(月):Q&A

fiction

©2016 TIFF

 
10/31(月)、国際交流基金アジアセンター presents CROSSCUT ASIA #03 カラフル! インドネシア『フィクション。』の上映後、モーリー・スリヤ監督、ラディア・シェリル(女優)さんをお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
モーリー・スリヤ監督(以下、監督):『フィクション。』を招待してくださりありがとうございます。ここに来られてとても嬉しいです。東京は私を暖かく迎えてくださり、そしてたくさんの経験を積ませいただける素晴らしい場所です。
 
ラディア・シェリルさん(以下、ラディアさん):皆さんこんにちは、はじめてTIFFに参加させていただきますが、昔から日本の様々な物事が好きです。今回日本に来ることが出来て、たくさん話したいことがあり胸がいっぱいです。
 
司会:“Fiction”の後にピリオドがありますが、これにはどういう意味があるのですか?
 
監督:元々、私が脚本を書いていた学生の時に、ピリオドをつけたらかっこいいと思っていたんです。実際に映画が出来た際、ジョコ・アンワルさん(映画監督。本作には脚本として参加。)がフォントをデザインしてくださいました。首が切られてポンっと落ちているような感じを表現しています。
 
司会:「i」の頭が転がり落ちたイメージでしょうか。
 
監督:その通りです。「i」の頭が切られて転がっているイメージです。
 
司会:「f」と「i」も繋がっているように見えますね
 
監督:英語の筆記体で書く時は“f”と“i”が繋がっているのが普通ですね。
 
Q:ジャカルタの団地のシーンで、1階が商店街で、2階、3階には誰が住んでいて……という階数ごとの区分けがありましたが、それは映画だけのフィクションなのか、それともジャカルタでは実際にあることなのか教えてください。
 
監督:この映画を撮影したロケ地は有名なアパート群です。ジャカルタのアパートは1階に店舗が入っていることが多く、また下層階は子供がいて昇り降りが大変だということで、家族が入る傾向にあります。ですが、本作での描写は多少、映画的に脚色しています。ジャカルタには様々な階級が存在するので、それを描きたかったというのがあります。ジャカルタは非常に大きな都市ですが、エリアとエリアのあいだを行き来するのが大変です。なので、どうしても小さなコミュニティが出来がちで、例えばエリートが集まるのは南部であったり、ビジネスはジャカルタの中心部であったり、スポーツや趣味に興じるならここという地域があったり。そういった小さなコミュニティを作る傾向があります。
 
Q:ラディアさんにお伺いします。主人公のキャラクターをどういう風に理解して、演じていったのか教えてください。
 
ラディアさん:2008年の作品なので思い出すのは難しいですが、私はチェロを演奏したことがなかったため、チェロを弾く役を演じるのが怖かったです。それからアリシャのトラウマについて、その気持ちを表現するのが難しく、似た経験をした親しい友人がいたのでその子のことをこっそり参考にさせていただきました。父親に抑制された少女という役でしたが、ジャカルタにはもしかしたらそういう子が沢山いるのかもしれません。多くは心の奥にしまっているのかもしれません。アメリカならもっとオープンにしたり、セラピーに通ったりするのかもしれませんが、インドネシアの少女だったら宗教に頼るか、または別の方法で表現しているのかもしれません。アリシャのようにはしないとは思いますが…。
 
客席にいらした松山ケンイチさん(以下、松山さん):純粋無垢なのがすごく美しいと思っていたのに、最後はとても恐怖を感じる、素晴らしい演技に感動しました。ありがとうございました。僕は俳優をやっていて、松山と申します。お二方から見た、日本の俳優とインドネシアの俳優の違いを教えていただけますか?
 
監督:映画をご覧いただき嬉しいです。私も松山さんの映画はよく拝見しているのでとても光栄に思います。日本の俳優とインドネシアの俳優はスタイルが対照的だと思っています。私は日本の俳優を演出したことはありませんが、例えば『KILLERS キラーズ』(2014年)という、日本とインドネシアの合作映画がありました。それを観て、日本とインドネシアではアプローチの仕方がだいぶ違うと認識しました。私がインドネシアの俳優を演出する時は、俳優に委ねて自由にさせます。ですが、日本では演出がかなり細かく正確であるように感じます。語弊がある言い方かもしれませんが、この堅さというか、例えば小津安二郎の作品にみられるような1つの形式といえるもの。スクリーンに映し出すという意味では、そうした方法の方が合うと思うので、私も日本の映画は非常に参考にさせていただいています。しかしながら、いかんせんインドネシアの映画は歴史が浅く、俳優が舞台やストリートパフォーマンスの歴史の延長にいるので、画面に映し出す上でシステムがまだ確立されていないのです。
 
松山さん:主役の方にも是非お答えいただきたいです。
 
ラディアさん:私が10代の頃は、テレビで「おしん」や「東京ラブストーリー」など日本の映画・テレビ番組をよく観ていました。そこでかなり文化の違いを感じました。礼儀正しさやふるまいといったものが、日本人全体に共通しているものだという印象があります。一方でインドネシアは、島や地域によって文化が異なり、特にジャカルタと地方ではかなり違います。話し方や動きも様々です。そうした多様性がインドネシアの文化の特徴だと思いますし、俳優さんの感情表現の仕方にも表れています。
 
松山さん:素晴らしいお話をありがとうございました。
 
Q:すごく面白かったのですが、とても怖かったです。ラストシーンは全部彼のフィクションであって欲しいと思いましたが、意図していることはありますか?
 
監督:あえてどちらかということはお答えできませんが、1つ申し上げるなら、フィクションは紛れもなくリアリティ([reality]=現実)に由来するものであり、また、フィクションは信じ込めばリアリティにもなり得ます。なので、この作品はフィクションとリアリティの狭間にあると思います。
また、1つリアリティの話をすると、実は撮影をしたマンションの部屋の向かいのドアには立ち入り禁止のテープが本当に貼られていて、そこにはカメラを入れることができませんでした。恐らく、私達が撮影に入る1週間前に誰かが殺されたのではないかという、そんな状況でした。

会期中のニュース
2016年10月25日 - 11月3日
23 24 25 26 27 28 29
30 31 1 2 3 4 5
新着ニュース
オフィシャルパートナー