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2016.11.02 [イベントレポート]
「愛する人を失うことは一番怖いことです。」ワールド・フォーカス 『ネヴァー・エヴァー』-10/31(月):Q&A

ネヴァー・エヴァー

©2016 TIFF

 
10/31(月)、ワールド・フォーカス『ネヴァー・エヴァー』の上映後、ブノワ・ジャコ監督、ジュリア・ロイさん(女優・脚本)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
ブノワ・ジャコ監督(以下、監督):私は何度も日本に来る機会がありまして、映画のプロモーション関係でしたが、昔から日本は大好きな国なので、日本に来られたことが大きな喜びです。昔や今の日本映画も映画文化も大好きですし、来るたびに観客の方達が、世界でも稀なくらい注意深く、真剣に映画を観てくださる姿勢がとても嬉しいので、この映画祭に来られたことが大変ハッピーで、とても光栄に思っています。
 
ジュリア・ロイさん(以下、ジュリアさん):今回日本に来るのが初めてなのですが、とても嬉しく、また興奮しています。そして少し東京を発見しつつあります。そして今晩は、これから京都に行きます。
 
司会:ジャコ監督は本当に様々なタイプの作品を創り続けていらっしゃいますが、今回ドン・デリーロの小説を映画化するにあたった経緯と、ジュリアさんは脚本にも参加されているとのことで、それはどのような共同作業が行われたのかお聞かせください。
 
監督:実はこの作品は、ヨーロッパで有名なプロデューサーのパウロ・ブランコさんから、映画化してはどうかというオファーをいただきました。彼は原作者のドン・デリーロさんと個人的に親しくされていて、クローネンバーグさんの「コズモポリス」という作品も既に映画化されていたのですけども、そのことからもドン・デリーロさんのこの本でどうだといったふうに渡されたのですが、私自身はドン・デリーロさんの作品も読んだことがありませんでしたし、その時初めて知ったのですが、読んでみて非常に面白く、映画化しても面白いだろうなと思いつつ、ただボヤっとしていたので、映画を作るとかそこまでは至っていなかったのです。そしてその数か月後に、隣に座っている若い女優さんと出会いまして、彼女の方から一緒に仕事をしてみたいと言われまして、このように若い女性に言われるとうきうきして嬉しいです(笑)、本を彼女に渡して読んでもらって、こうすれば映画化ができるのではないかという話が具体化していきました。俳優さんに「シナリオまで描いてみたらどう?」ということは決してないのですが、彼女が凄く熱心だったので、シナリオもやってみないかと提案しました。
 
司会:ジュリアさん、この話に付け加えることはありますか。
 
ジュリアさん:自分自身こういった長編でシナリオを書くことは初めてだったのですが、以前からシナリオを書くことに興味はあったので、ぜひやってみたいと思いました。この作品で主役のローラを自分で演じることになって、さらにシナリオも書くとなったのでシナリオを書くことも勉強しなくてはいけませんでした。色々なシナリオも読みましたし、シナリオの書き方に関するテクニカルな本も読みました。今回の題材が人の死、その喪に服すことに関する題材なので、そういったことに対してもリサーチしました。こうやって愛する人を失うということは非常に恐ろしいことだし、自分自身もそういったことが一番怖いと思っているので、実際に起こる自分が怖いと思っていることを題材として扱うことは非常に面白いと興味を持ちまして、自分が書くに至りました。全部仕上げてから監督に見せるのではなく、少しずつ書いては監督に見せてディスカッションをしたり、方向性を示してくださったりして、結果すべて自分で書きました。
 
監督:既に演技指導が始まっているようなものでした。
 
Q:映画監督と女優さんが主要人物でしたが、自分たちを投影したところはありますか。
 
監督:最初から自己投影云々などリスクかなと悩み、かなりこの映画を作るのに時間がかかってしまいましたが、撮ると決まってからはこういった悩みは捨てて、マチュー・アマルリックさんに任せようと決めました。彼が役作りの中で、彼自身も映画監督をやっていることもあり、自分自身を参考にした部分と、私を参考にした部分もあると思います。マチューさんが私のいくらかの要素を役作りに取り入れたのであろうという部分を見て取ることが出来ました。そういったことが、マチュー・アマルリックさんが演じている中にもろもろ含まれているのです。例えば私の要素を撮ったのであろうという場面は、かけている眼鏡に私がちびちびタバコを吸う仕草、映画の中で出てくる携帯電話の着メロも私と同じに投影されています。他にもシャツの着方だったり種類だったりいろんなものが私から取られていました。ローラを演じたジュリアさんも、彼女ももしかすると私の要素を役作りの参考にしていたのかもしれません。私から要素を取ったんだろうなというのはあると思うのですが、特に私からそれを知ろうとは思わないですね。
 
司会:家が一つの登場人物となっていますが、あの家はセットでしょうか、それともロケで見つけられたのでしょうか。
 
監督:今回の映画を作るにあたってロケ地探しはかなり大きなポイントとなっていまして、ロケ地あってこそのこの作品だと思っています。かなりロケ地は探して回ったのですが、最終的に見つけたのがこのポルトガルの海辺にある場所でした。工事が中断して完成していない作りかけの家が見つかったので、それを仕上げるにあたって自分たちのこの映画に役に立つような部屋の配置や、どういった昇り降りをするかといった、このストーリーに合うようにこの家を作り上げました。演出の大きなポイントとしてだだっ広い家というのはローラの身体的、精神的な世界観の内面の延長のような場所でありたかったので、この家は大きなポイントでした。
 
Q:後半の部分がヒッチコックの映画を見ているような雰囲気を感じまして、音楽もヒッチコックの映画のような雰囲気を感じ取ったのですが、ヒッチコックを意識して演出されたり脚本を書かれたりといったことはあったのでしょうか。
 
監督:そういったことは全くありません。ただヒッチコック監督というのは映画界の巨匠ですし、彼の影響で自分は映画に興味を持ったし、映画を作ってみたいと思わせてくれたので、もしかすると無意識に彼の存在というのがここにあって、ローラがレイ亡き後も存在を感じているように、自分もヒッチコックの存在が近くにあるのかもしれません。ヒッチコック映画はバーナード・ハーマンという人が音楽を手掛けていたのですが、その彼もバルトークとかストラヴィンスキー、シェーンベルクといった人の音楽からインスピレーションを受けて取り入れていたので、不安に駆られた時の音楽というのはどうしてもあんな感じになって、今回も不安などを表す音楽だったので、そのような印象を持たれたのかもしれません。
 
ジュリアさん:私が脚本を書いているときはヒッチコックの映画は見ていません。もしかしたら観るべきリストに入っていたのかもしれませんが、観たのはポランスキーの「反撥」やベルイマンの「仮面/ペルソナ」などです。
 
※以下、ラストシーンについての言及があります。ご注意ください。


 
 
Q:終盤になるにつれてとても美しい話なのかと思ったのですが、最後のシーンでは、彼女が彼と精神的に繋がることによって、彼女が成功するために彼の芸術性を利用したのではないかという疑問が残りました。最後のシーンは原作にあるものですか、それとも映画を作る上で脚色したものなのでしょうか。
 
ジュリアさん:原作にあります。ローラという役はパフォーマンスアーティストですので、彼女は自分の職業を使って、何とか乗り越えて生きながらえようとする、そういった強さをあそこで表現しています。最後のパフォーマンスというのが、確かに彼女が大変な体験を乗り越えて前に向かって進んでいくというところを象徴しております。

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