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2016.11.02 [イベントレポート]
「苦しくても何かを成し遂げたい、まっすぐに突き進むという姿をみて、私も立ち上がりたいと思ってこの映画を作りました。」日本映画スプラッシュ『島々清しゃ(しまじまかいしゃ)』-10/30(日):Q&A

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©2016 TIFF

 
10/30(日)、日本映画スプラッシュ『島々清しゃ(しまじまかいしゃ)』の上映後、新藤風監督、磯田健一郎さん(脚本/音楽監督)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
新藤風監督(以下、監督):こんばんは、新藤風です。本日は日曜の夜にも関わらずお越しいただきありがとうございます。またこの映画祭に初めて出品することができまして、やっと皆さまに観ていただくことができて嬉しいです。本日はよろしくお願いします。
 
磯田健一郎さん(以下、磯田さん):本日はようこそお越しいただきました。脚本と音楽監督を担当した磯田と申します。久々にスクリーンで観てみて、やはりスタッフ、キャストが本当に素晴らしく、またロケ地の島の素晴らしさが力強く助けてくれたのだなと思いました。東京国際映画祭は音楽監督としては何度か呼んでいただきましたが、脚本としては初めての新人でちょっと緊張しています。よろしくお願いします。
 
司会:監督は今回いかにして10年ぶりの監督作品を作ることになったのでしょうか。その経緯を教えていただけますか。
 
監督:10年ぶりになったのは家庭の事情といいますか、高齢の祖父が新藤兼人という監督で、一緒に暮らしながら祖父の最後の仕事を6年ちょっとサポートしていました。祖父が100歳で亡くなってちょっとぽっかり穴が開いてしまったので、なかなか立ち上がることができなかったのですが、主人公うみの、苦しくても何かを成し遂げたい、欲しいもののためにまっすぐに突き進むという姿をみて、私も立ち上がりたいと思ってこの映画に参加させていただきました。企画のことは、磯田さんが4,5年前から形にしようと動いていたので、磯田さんに聞いてみた方がいいかと思います。
 
磯田さん:4,5年前ではなく正確にいえば7年前ですが…(笑)、ちょっと病気をして身体が動かなくなり、現場人間なのに現場行けないのかなと絶望的な気持ちになった時に、もう1回立ち上がらなければと。それで自分に何ができるのだろうと考えて、本を書こうかなと思いました。僕の人生の中で、エネルギーを与えてくれた沖縄の音楽があって、それはもちろん『ナビィの恋』という作品の時のことです。その僕の音楽観自体が変わった沖縄でもう1度撮りたいと思いました。
新藤監督とは、『ナビィの恋』で最初にお会いして、まだ若い監督だったのですが、その後も何度かご一緒させていただきました。個人的にこの人こんな映像撮るのか、すごいぞという部分がありつつ、ここ10年撮っていないということもありまして、撮らせたいなと思っていました。実は最初から新藤監督に撮っていただこうと思って脚本を書きました。ですが、やっぱり家の事情などがあるので実際にオファーを出すまでは正直紆余曲折がありました。プロデューサーともいろんな話があったんですが、最終的には僕の方が言い張ってみたというか。最初は(新藤監督に)ごまかして「本直し手伝って」と言っていたのですが、だんだん引き込んでいって、監督をお願いしました。
 
Q:安藤サクラさんや子供たちの音楽経験や素質について、最初はいかがでしたか?
 
監督:今回、音楽経験者は、沖縄民謡を歌われている金城実さんと船の船長さんの金城盛長さん、あとはほんのちょっとトランペットの男の子。それから居酒屋のバーの方で、プロ3人と小学生1人だけでした。みんな初めて触る楽器でも頑張って取り組んでくれました。
音楽の練習をしなくてはいけないので、普通よりも早め早めにキャスティングを始めて、金城実さんという土台になるおじいにお願いすることができたところで、ようやくこの映画が始動しました。細かいことは磯田さんの方が詳しいですよね。
 
磯田さん:実は渋川(清彦)さんはドラマーで、管楽器は初めてなんです。ドラマーとしては今でもライブ活動を頻繁にしているらしく、グルーヴ感がよくてどう見ても長年吹いているようにしか見えないですよね、作品の中でも若干音を差し替えているところはありますが、実際に吹いたりしています。キャスティングしている時は知らなかったんですが、サクラさんは10代の頃は沖縄好きで、三線を弾いたことがあったようです。バイオリンは、体験教室での経験がよくなくて嫌な楽器だと思っていたそうですが、だんだんやっていくうちに好きになっていただいて。音程はともかく映画の中で使われている曲は演奏できます。そこまでやっていただきました。音は差し替えている部分はありますが、実際に弾いているところがあります。
子供たちに関しては、監督がおっしゃったようにトランペットの子は小学校で少しだけ経験しています。ほかの子は楽器を見たこともありませんでした。特に吹奏楽の女の子4人、クラリネット、サックス、トロンボーン、トライアングルの子たちは実際にロケ地になった慶留間島の小学校の生徒さんで、楽器が小学校にないんです。先生方にも楽器はないと言われていましたが、無理言って倉庫にお邪魔したら奥の方にフルートとクラリネットがあったので、撮影に使わせていただきました。みんな実際に演奏しています。子供たちの音はそのまま使わせていただきました。はじめは「そんなことしたら誰も映画観てくれないよ」「下手な演奏したら怒るよ」と言われましたが、俺は逆だと思っていて、「スタジオミュージシャンがやったって誰も感動しないんだよ」「君たちが一生懸命演奏するから感動するんだよ」と伝えました。
橋の上で、口でブラスバンドをするシーンがありましたが、あの場所で毎日ランドセルを放り出して練習していたそうです。おじさんはそれを聞いただけでぐっときてしまいました。脚本を書く時から、ラストシーンではみんなの演奏を使うと決めていました。実際にそのシーンを撮ることが出来て、あれはもうみんなの頑張りです。
 
Q:磯田さんは『楽隊のうさぎ』も手掛けていらっしゃいますが、子供たちに音楽を指導するときに心がけていること、コツはありますか。
 
磯田さん:ないですね。音楽を上達させる早道はありません。『楽隊のうさぎ』で言うと、主要キャスト以外は吹奏楽部員から選んでいるので、僕は普通の吹奏楽部の指導をしています。ただし、僕が高校の時に吹奏楽部の指揮者をやっていたのと同じかたちです。上から抑えつけるのは嫌で、同じ地平でやりたいなと。子供は子供だからと接すると何もやってくれません。対等に接しなきゃいけないし、僕ら大人が上からワーワー言って笛を吹いたところで踊ってくれるはずはないんです。では何をしたらいいかというと、まず音楽を好きになってもらう、楽器を好きになってもらうことだけです。それがうまくいくかどうかは正直やってみないとわかりません。その人のキャラクターを見ながらやっていくだけで、コツはありません。こっちはある意味祈っているだけですね。それが本音です。
 
Q:新藤監督は安藤サクラさんと組まれていかがでしたか?
 
監督:安藤サクラさんとは一時ご近所さんだったこともあり、顔見知りといいますか、安藤家の皆さんとは祖父の介護をしている時の愚痴を聞いていただくくらい仲良くさせていただいていました。サクラちゃんだけちょっと安藤家の中でも別な感じで、そこまで一歩踏み込めない状況でしたが、ずっと奥田(瑛二)さんには、ももちゃん(安藤桃子さん)とサクラちゃんといつか仕事がしたいという話は、憧れとして、夢のようなこととして話していました。
実際、今回受けていただけるかわからない状態でオファーをすることになりましたが、ちょうど『百円の恋』以来、1年ほどお仕事を休まれてからの始動だったということと、またバイオリニストの役だということで、現場に入るまではとてもナーバスな状態でした。現場に入った最初の数日間は死にそうな顔をしていて、ピアノを試し弾きするシーンが最初だったのですが、指が震えてしまうのを「震えるつもりないんだけどなぁ」と言いながら撮っていて、本当に緊張が伝わってきました。ただ、3日ほど経ったくらいに「私、なんかできる気がしてきた!」と笑って言ってきて(笑)。現場の撮影に入る前に前撮りがあったのですが、子供と島の空気にとても力をもらったようで、みんなで仲良く野生児のように、終盤には毎日海からずぶ濡れで帰ってくるサクラちゃんがいました。
今回はいわゆる素人の方が多かったので、サクラちゃんには負担をかけてしまいました。特に「金城実は歌詞を覚えられないことで有名なんだ」とおじいが言うくらい台詞がなかなか覚えられなくて、沖縄に行けるときは必ずおじいのところにいってセリフを覚えてもらうために本読みを一緒にしていたのですが、頑張って頑張って覚えてもどうしてもうまくいかないところがありました。
特におじいと祐子の浜辺のシーンはすごく長くていつ止まるか分からないので、カメラマンさんと「ここまでいけたらここまでいこう」と、いろいろ想定しながら話していました。おじいのとても自然な存在感を生かしたいというサクラちゃんの想いもあって、おじいが失敗しても芝居を続けていました。(安藤サクラさんは)その時に感じたことをその場に立った時にお芝居をするタイプだと思っていましたが、今回は子供やおじいのことで感情をキープしなければならなくて、何度も同じシーンを繰り返しやってくださいました。現場全体、島全体のムードメーカーになってくれて、サクラちゃんには本当に大きく助けられました。人として、女性として本当に大きな、とても素敵な人だと思います。
 
Q:昨日ちょうど『湯を沸かすほどの熱い愛』を観ました。伊東蒼さんは誰が見つけてきたのでしょう。どちらが先だったのでしょうか。
 
監督:残念ながら私達がオーディションをしていたときにちょうど『湯を沸かすほどの熱い愛』の撮影中だったので中野量太さんに軍配が上がります(笑)。今回、東京国際映画祭で久しぶりに量太監督とお会いしましたが、初めての私の監督作品である『LOVE/JUICE』のときに彼が初めて助監督をしたというところからの付き合いで、映画学校の後輩だったりもします。年は上ですけど。なんやかんや縁がある方です。
(伊東蒼さんは)オーディションの時にすぐに「この子!」となりました。『湯を沸かすほどの熱い愛』のせいなのか、最初はとても暗くて(笑)、声も聞こえなくて、近くに寄って「お名前は?」って聞きに行きたいくらいで。人見知りで緊張していたみたいです。でも、最近やったお仕事の台詞をお願いしますと言ったら、その瞬間にパチッと目の色が変わったんですよ。すごく表情豊かな子で、「あ、この子だ」と思いました。10歳ということを忘れてしまいそうなくらい頑張り屋さんで、あとからこちらが我に返ってケアをしなくてはと思うくらい、根性がすわっていました。初めての現場でどうしたらいいかわからない他の子たちも蒼ちゃんの頑張りと集中力を見て、引っ張られていました。また、すごくみんな仲が良くて、蒼ちゃんが毎日一番仕事も練習もしなくてはいけないので、蒼ちゃんを助けようという雰囲気が子供たちの中で役割り分担のようにしていて、大人たちも感心するくらい、子供たちの頑張りで大人たちが助けられ、この作品を作る原動力になったのだろうと思います。
 
Q:うみちゃんの耳が敏感すぎて周囲と不和がある…というのは、もともとアイデアの中心だったのでしょうか。また、耳を塞ぐために耳あてをした意図はありますか?
 
磯田さん:耳が敏感すぎるというのは最初から考えていました。何か1つ特化したものを持っている、なにか人と変わったものを持っているというのは、程度の差はありますが誰しもあると思っています。それを下手に出すと孤立してしまうということもあると思います。その、一番特化したかたちというのをあのように表現したということです。
アスペルガー症候群という発達障害の1つの形がありまして、フランスのエリック・サティさんというという方がいます。彼は典型的なアスペルガー症候群だったといわれています。本当に美しい曲を書きますが、すごく変わっている。そういう人達のイメージがあって、キャラクターを作りあげています。これは絶対音感の話かなと思われがちですが、違います。うみちゃんが聞いているのは絶対音ではなく音楽です。音楽の流れ方を聴いている。そこから音が外れた時に喚きだすということです。脚本家としては素人なので、理論的に表現できなかったなと思っています。
耳あては最初から使おうと思っていました。ヘッドホンは近代的であまり使いたくなかったんです。初めから沖縄のイメージで書き上げようとしていて、沖縄の中で一番へんてこに見えるのは、あのクソ暑い中で何故耳あてをしているのかということですよね。実は沖縄に長い期間滞在していた時に意外なことがあったんです。12月でも暑い時は暑いですから、道端で半袖でアイスクリームを食べていたら怒られたんですよ。毛皮のコートを着たおばさんに「え、寒いのに…」と言われてしまって(笑)。嘘みたいですけど実話です!マフラーも毛皮のコートも那覇ではいらないだろうと思いますが、売ってるんです!そういう体験があったので象徴的に耳あてにしました。
 
司会:最後に一言お願いします。
 
監督:本当に関わっていただいた方がたくさんいて、どれくらい報いることができただろうと思っております。小さい作品ですが、でも難しい脚本で、少しでもいいなと思っていただけたら幸いです。2017年1月21日からテアトル新宿系列で上映しますので、どうぞまた足を運んでいただければと思います。ありがとうございました。

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