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2016.11.07 [イベントレポート]
「私の祖父母にも映画を観てもらい、自分の民族を誇りに思って欲しいです。」コンペティション『サーミ・ブラッド』-10/30(日):Q&A

sami_blood

©2016 TIFF

10/30(日)、コンペティション『サーミ・ブラッド』の上映後、アマンダ・ケンネル監督、レーネ=セシリア・スパルロクさん(女優)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
アマンダ・ケンネル監督(以下、監督):この度はお招きいただきありがとうございます。こんなに素晴らしく、こんなに多くの方に知られている東京国際映画祭に作品を携えてやってくることができ大変嬉しく思います。今回は私も初長編となりますし、そして彼女も初主演となります。
 
レーネ=セシリア・スパルロクさん(以下、レーネさん):皆様、今日は来ることができてとても嬉しいです。東京は初めてなのでとっても嬉しいです。
 
Q:一箇所、腑に落ちなかったところがあります。ニコラスの家が(主人公を)一泊泊めることは分かるのですが、リュック1つで街にやってきて泊まる場所もない彼女が、その後なぜあんなに簡単に高校に入れたのでしょうか。
 
監督:高校には1日、2日でしたらすんなりと入れるようですが、そこからチェック等がいろいろと入るそうです。主演の彼女は非常に嘘が上手でサバイバル術に長けているので、あれだけすんなりと高校に入れたということです。
 
Q:スウェーデンではこの歴史がダークサイドだという解説を読みました。今のスウェーデンでは少数民族の同化政策はどのようになっているのでしょうか。
 
監督:同化政策や少数民族に対する政策は、当たり前のことですが当時と今は違います。ですが、1930年代当時は、同化政策により彼女のような子供たちが寄宿学校に入れられて、自分の母語を話すことを禁止され、言葉を失いました。祖父母や親の世代と話をすることで言葉を習うことはできるのですが、学校できちんと習わないと一度失った言葉はなかなか取り戻すことができません。これは言葉の側面においての話ですが、その他にも色々な側面があります。サーミ民族に関して言えば、トナカイの遊牧をする民族はサーミ民族の中のわずか10パーセントです。その他に漁をする民族、魚釣りで生計を立てる民族も居るわけですが、水や土地に関する権利も危機にさらされていて、これについては国連の169号という条約があります。しかし、それに批准していないトナカイの遊牧をしているサーミ民族は経済的に窮屈な立場におかれています。特に今は色々な鉱山での採掘が進んだりしているということもあり、土地がなかなか確保できない状態です。そしてそのような中で、自殺率も実は高いです。民族の中に憎しみの気持ちが沢山あるようです。
 
司会:レーネさんと監督の出会いを教えてください。また、レーネさんは一般的なスウェーデン人と同じ生活をしているのか、あるいはサーミ民族としての暮らしをしているのか、お聞かせいただけますか。
 
レーネさん:監督とは3年前に出会ったので実はあまりよく覚えていません。メールで連絡をいただいたのは覚えています。その時に「この企画に興味ある?」と聞かれ、「興味がある」と答えました。そのあと何度か会い、練習を重ねていきました。スウェーデンのウメオで会ったのを覚えております。今の生活はトナカイの遊牧をしているわけですが、土地を守ることも大変ですし、家のことも手伝わなければならない、お父さんやお母さんやお姉ちゃんや妹の手伝いをしなければならないので、いろいろ大変です。トナカイが電車の線路に入らないように見張らなければならないなど、いろいろなことがあります。
それと、主人公の女の子エレ・マリャと私自身の違いについて、彼女は自分の故郷・民族を離れたかったわけですが、私はサーミ民族を誇りに思っています。自分の文化、そしてトナカイの遊牧をしていることに対して誇りを持っています。昔は軋轢やプレッシャーがあり、隠して生活を送っていましたが、今は誇りを持ち、堂々としていて良いのです。私は誇りに思っているのでよくトナカイの遊牧の話をしています。
 
Q:カメラを主人公の女の子に、かなりギリギリまで寄せて撮っていて、違和感を感じるほどでした。これは意図的な演出だったのでしょうか。
 
監督:カメラを寄せて撮っているのは意図的な演出です。他の作品でしたらもう少し引いて撮影をしますが、あえてカメラを寄せて撮っているのには色々な意図があります。
まず、彼女の主観、経験を通して観客に観て欲しい、主観的な映画にしたかったというのがあります。そのため、彼女をほぼ全ショットに映しています。それともう一つ、普段サーミ民族を映像や写真で観る場合、人類学者や骨相学の学者などが研究を通して捉えたものが多いので、今回はそのような、いわゆる学術的なアプローチはとりたくなくて、あくまでも彼女の生々しい経験を描きたかったのです。
また、カメラを寄せたのには、彼女の閉塞感を生々しく出すためという理由があります。これは時代物を撮る難しさでもあるのですが、時代物というとカメラを固定して画を引いて撮り、観客に「きれいなドレスだな」と思わせることも多いと思います。実際にこの映画に登場する民族衣装は非常に美しいです。例えば、時代物の映画では、道端で人がリンゴを売っていて1930年代はこういうことが行われていましたよ…ということを表現しているよううなものもありますが、本作ではあくまでも彼女の体験をということで、カメラを寄せて激しく動かしながら撮っていきました。
 
Q:バイクについて、批判的・否定的にとれるシーンがありました。最期のショットにもバイクが出てきます。どのような意図でバイクを取り入れたのかお聞きしたいです。
 
監督:このオートバイのシーンでは、ホテルで観光客が文句を言いますよね。これは、私の地元でサーミ民族に対して言う文句を拾って映画の中に反映させました。多分、オートバイの音がうるさいというのは文句の中でも一番軽い方で、本当はもっと辛辣なことを言います。サーミ民族はオートバイのほかにもスノーモービルやいわゆる四輪車を使ったりして過ごしていますが、それはトナカイの面倒を見るために乗っています。それを自然保護区で乗り回すのはけしからんということで文句を言われていますが、変な話ですよね。ほかにもいろいろ文句を言われていますが、それを映画に入れてしまうと少しきつくなってしまうと思いあえて入れませんでした。それと最後に映っているキャンプの部分は現代のサーミ民族を映したもので、本当は50人ほどエキストラがいて、コーヒーを飲んだりテントを張って寝泊まりをしたり…という様子もありましたが、画面には映っていません。
 
Q:日本も、台湾や韓国を併合して同化政策を行った歴史があり、世界中でそのようなことをしている国はあると思いますが、そういうことを行った私達が忘れてはいけないことなど、監督はどのようにお考えですか。
 
監督:非常に素晴らしく良い質問だと思います。お答えするのがとても難しいです。例えば、私は映画監督なのですが、監督業の好きなところは、必ずしも答えを導き出す必要がなく、肝は色々な問いを呈することだと考えています。特にこの映画では同化政策による恥の感情や、精神的な植民地化について多く取り上げ、それについての問いを呈しています。また、自分の過去や歴史、そして自分の言葉を自ら切り離すことが、人間にどのような影響を与えるかを描こうとしています。
映画監督として常々意識していることは、自分の作り出す芸術が社会を反映したものでなければならないということです。そして歴史は繰り返されるものなので、こういう問いを呈することは非常に大切なことだと思っています。この映画を作ったことで少なくとも私の故郷であるスウェーデンや今住んでいるデンマークにおいて、我々と先住民族についてなど、その他様々な議論が増えてきました。私にとって、映画を作るということは自分の前に鏡を掲げるようなものだと思っています。自分の姿を映し出し、振り返ってみる、そういう作業です。
 
司会:最後に一言ずつお願いします。
 
監督:この作品を携えて東京に訪れることができたこと、そして皆さんにご覧いただくことができたことを大変嬉しく思います。この映画に登場する南部サーミ語は、現在絶滅の危機に瀕していて、流暢に話すことができる人が世界に500人ほどしかいません。先ほど、この映画は恥の感覚や精神の植民化について描いていると言いましたが、この作品は私よりも上の世代の方に見てほしいです。彼らは過ごしてきた時代のせいで自分の民族文化を恥じているので、恥じる必要がないことを伝えたいです。
 
レーネさん:来ることができて嬉しかったです。映画で描かれている南部サーミ民族は、幸い国の政策が変わったため絶滅せずに済みました。なので、サーミ民族を描いたこの作品を非常に誇りに思っています。私の祖父母にも映画を観てもらい、自分の民族を誇りに思ってほしいです。

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