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2016.11.08 [イベントレポート]
「この映画はすべて私の記憶をたどって撮ったと言っても過言ではありません。」アジアの未来『八月』-11/2(水):Q&A

チャン・ダーレイ チャン・ジエンフア

©2016 TIFF

 
11/2(水)、アジアの未来『八月』の上映後、チャン・ダーレイ監督、チャン・ジエンフアさん(アソシエイト・プロデューサー/編集監修)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
チャン・ダーレイ監督(以下、監督)夜遅くに映画を観に来ていただきありがとうございます。この映画を見て、皆さんが失望していなければいいのですが。
 
チャン・ジエンフアさん(以下、チャンさん):私はこの『八月』という映画のアソシエイト・プロデューサーのチャン・ジエンです。映画をお楽しみいただけたでしょうか。
 
Q:この作品は父と息子という2人の個人の話ですが、どこか非常に共通しているところがあります。監督自身の体験を2人に投影して作っているのでしょうか?
 
監督:親子の描き方について非常によく見てくださりありがとうございます。この家の子供であるシャオレイは、とてもシンプルで天真爛漫で、見たものをそのまま受け止めています。一方の父親は、新たな生活に変わっていくので、新しい選択に直面させられており、未来のことについては何も分からないのです。そういう意味では、父親はこの家の一番大きな子供なのかもしれません。つまり兄のようでもあり、シャオレイが弟のような感じです。2人とも未知の世界に対面し、どうしたらいいのかと迷っています。
 
Q:全編白黒ですが、最後だけカラーになったのはなぜでしょうか?
 
監督:エンディングだけをカラーにしたのは、実は映画が完成して全部編集が全て終った段階で、最後の最後に決めたんです。この映画の完成したラフを友人とクリエイターの皆さんにお見せしたら、皆さんの感想としては、どこか感傷的な部分があって、特に父親の部分が、なんとなく前向きではないと。それで、私自身がこの映画の中で、父親に対する理解というものをはっきり描いていなかったと思いました。
結局エンディングだけをカラーにしたのは、これは、大自然の中で生き生きと働いている父親のことなんです。これは父親の選択はある種の妥協ではなく、むしろ新しい選択をしたことで非常に楽しくやっているという状況をお見せしたかった。そういう意味ではオープンエンディングと言えるのでしょうか。非常に希望に満ちたエンディングだと思います。
 
Q:なぜこの時代背景で映画を撮ろうと思ったのですか?
 
監督:正確には80年代の終わりから90年代の初めにかけてを描いていますが、具体的に何年とは言っていません。なぜこの時代を選んだかと言いますと、この時代、私自身がこの映画の中のシャオレイと同じくらいの歳でした。彼と同じように全てのことはまさに未知で、非常に好奇心を持っていました。周りの人々はみな非常にシンプルで、お互いの付き合いにも目的は特にありません。人間本来の感情、あるいは本性というか、とても素直に付き合うわけです。人間同士は常に交流が必要です。しかし今の時代は、付き合いにしてもどこか目的があって、それは悪いことではないんですが、ひょっとしたら今の時代は生活のリズムが早くて、そうならざるを得ないのかもしれません。
時々今の自分、今の生活が好きじゃないと思うことがあるのですが、私の印象の中では子供の頃にはそういう気持ちはありませんでした。映画の中で、非常に背の高い男の人が歌を歌ったり、漢詩を読む場面がありますが、あの時代にはあれは当たり前のことなんです。今の時代からすると、この男は頭がおかしいんじゃないかと思うかもしれません。そういう意味で、あの時代がとても好きです。ある意味では私にとって非常にロマンチックな時代かもしれません。
 
Q:出演者は一般の方を集めたそうですが、どのように集めたのか、なぜ一般の方を使ったのでしょうか?また、素人の役者を演出するのは難しかったですか?
 
監督:プロの役者を使わなかった点ですが、実はプロではない役者が演技をするときには、目的や技法がないので、ただ生活の中のことを演じられるというメリットがあります。私は監督として新人であり、彼らは私よりはずっと経験豊かだと思っています。私としては、彼らと同じレベルで、同じ暮らしの中で、役者と交流するつもりでこの映画に臨みました。この映画に登場した大人の皆さんは、当然私より年上ですし、その時代を実際に生きてきたわけなので、非常に経験豊かだと思っています。私の仕事はとても簡単で、役者の皆さんに登場人物について懸命に説明をして、解釈をつけることでした。それを理解してくれれば、役者が自身の経験に基づいて演じていくだけの話です。これはとても重要なポイントです。
子役の彼と一生懸命やったことは、彼と友達になることです。子供にとって、私が同じ年齢、同じ思考回路、同じ知恵のレベルと感じさせることです。毎日一緒におやつをたべて、スーパーマリオのゲームをしました。時に夜更かしもしました。私たちの仕事はこのような感じで、とても順調でした。
 
Q:この映画は90年代を振り返るもので、監督がきちんと距離感を保っている点がすごくよかったと思います。英語のタイトルは『The Summer Is Gone』ですが、この映画を観て感傷的なものやノスタルジックなものは全くなかったと思います。監督はどのように正確な距離感を保って物語を描くことが出来たのでしょうか?
 
監督:クリエイターの観点からすれば、感傷的なもの、ノスタルジックなものはありません。皆さんはよく感傷的という言葉を使いますが、私の観点からすればある種の遺憾というか、残念な気持ちとして描いています。その意味では、この映画に対して何かを定義するとか、コメントするとか、見方を示すことは一切しないと思います。感傷的と言うと非常に具体的になってきますが、遺憾あるいは残念と表現すると、何か美しさのようなものがあると思います。登場人物の具体的な情感の部分は、私が判断して説明するよりも、それは観客の皆さんの権利であり、それぞれ様々な受け止め方があると思います。
実映画を撮る時、私たちは非常に完成度の高い脚本を持っていました。作中には断片的な映像もあったかと思いますが、しかし脚本自体はとても完成度の高いものでした。脚本の中に、家族の暮らしが全体として書かれているので、それを理解できると、どの部分を撮ればいい、どの部分は撮らなくていい、というのが分かります。私たちは普段の暮らしの中でも、世の中の物事すべてを知ることは出来ないわけです。自分の目を通して見る、または頭を使って理解するのとまったく同じような過程だと思います。したがって、この映画はすべて私の記憶をたどって撮ったと言っても過言ではありません。目を閉じて、覚えているものを次々と登場させています。幸い、私は記憶力が良いので、昔のことをとてもよく覚えているのです。
 
司会:鎌倉に行きたいとおっしゃっていましたが、行くことができましたか?
 
監督:はい。昨日鎌倉に行きました。小津安二郎監督の住んでいた場所をずっと探していて、時間がかかってしまいました。私の尊敬する映画人であり監督です。小津監督のお墓に実際に行ってみると、生前の彼と同じように、とても目立たない、見つかりにくい場所に静かに眠っていました。そこで、心を込めて監督の大好きな山崎のウィスキーを献杯して、そこでしばらく座っていました。私にできることはこれしかないと思いました。それから、鎌倉の町も散策しました。東京から離れてとても静かな小さな町を楽しませてもらいました。ぜひ再訪して、今度はしばらく住んでみたいと思いました。

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