11/2(水)、ワールド・フォーカス部門『ザ・ティーチャー』の上映後、ヤン・フジェベイク監督をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
ヤン・フジェベイク監督(以下、監督):私は今日、日本に着きました。訪れるまでの距離は違うかもしれませんが、ご来場いただき本当にありがとうございます。今回の来日は4回目です。これだけ大勢の皆様に映画を観に来ていただけたことに興奮しています。
司会:映画の内容は実話であり、監督のお知り合いの方が実際に体験をした話でもあるとのことです。映画化しようと思ったきっかけを教えてください。
監督:実は、脚本を書いてくれたペトル・ヤルホフスキーさんとは14歳からの付き合いです。この話は、私とヤルホフスキーさんが出会う1年前に起こった話でした。この話が彼自身の話か、あるいは彼の親の話だったかは覚えていません。私は彼からこの話をずっとされていて内容は知っていたものの、テーマがなかなか浮かんでこなかったのですが、2年前にヤルホフスキーさんと話をした時に、テーマを「恐怖」にしました。
ストーリーはご覧になっていただけたと思いますが、テーマを「恐怖」にした以上、とても旧体制時代に上映できるような内容ではありません。体制を批判しているようなものなので、その当時の映画化は不可能でした。その後、民主化が起きてチェコが自由を手に入れたため、国民は恐怖感など全く考えられなくなったんですね。しかし今、時代が変わり、国民が何らかの形で恐怖を抱くような時代になってきたので、そういう意味で、今の時代にも通用する映画であると思います。
Q:チェコの作家さんは、シリアスな映画にブラックユーモアを交えながら、アップテンポでぐいぐいと引き込んでいくような印象があります。作家の皆さんは、何か文化的に共通した、ベーシックなものを取り入れているのでしょうか。
監督:チェコの映画や文学にはブラックユーモアが存在し、それは伝統的なものであると思います。例えばミロス・フォアマン監督や、文学で言えば、ミラン・クンデラ、ボフミル・フラバル。彼らは悲劇とコメディーを絶妙なバランスで常に組み合わせて描いていると思います。私も脚本のヤルコフスキーさんも、それをとても居心地よく感じています。観客にもよりますが、この話の経験を実際にしている方は、とても落ち込んで新たな恐怖心を抱くかもしれませんし、経験をしていない方はコメディーとして笑って観ていただけるかと思います。チェコ人の中でも、ブラックユーモアを交えた作品を好まない人もいます。
司会:チェコでの反応はいかがでしたか。
監督:この映画は、チェコの映画でもありスロバキアの映画でもあります。言語もスロバキア語を使用し、撮影場所もスロバキアです。チェコ人から見たらスロバキアは外国ですので、外国の映画とも言えます。
チェコで上映した時は、キャスティングをわざと無名な方たちにお願いをしたので、有名な人が出ていないということで限られた場所での配給となりました。正直に言うと、チェコ国内での評判はあまりよくない部分もあり、さまざまです。私なりに評判の良くなかった理由を考えると、ヤルコフスキーさんは本当に多くの作品を手がけているため、チェコ人の皆さんは作品を見慣れているのかと思いました。もちろん観客と評論家との違いはあります。観客の方には気に入った部分を教えていただき、評論家の方にはさまざまな意見をいただきました。私は私らしい作品を作っているので、観客や評論家の求めているものとは異なるかもしれません。また、ヒットしなかった一番の理由は、有名な役者を起用しなかったことかもしれません。
Q:この映画は共産主義を扱っていますが、なぜ先生がそれほどまでに怖かったのか、また共産主義の恐怖とは何だったのかを教えてください。
監督:このストーリーの舞台は1980年代です。前の時代に比べたら共産主義などの支配がゆるくなってきた時期です。1980年代の状況に慣れてきて、それと共に生きていたチェコ人がいることは事実です。海外に行けないことや物不足、優秀であっても政治的な理由で進学できないなど、自由ではないことに慣れていました。また自分の意見をオープンに述べること自体を忘れているというか、何か意見をしたらひどい目にあわされるのではないかというような、恐怖感があったと思います。そういった状況下では、操られる立場の人達が、操りやすい状態になるのです。この映画はもしかすると、恐怖感そのものについての作品だと思います。
Q:恐怖が民主化によってなくなり始め、時代が変わり、それがまた表れ始めたとおっしゃっていましたが、それがどういうことなのか詳しく教えていただきたいです。
監督:複雑な状況ではあると思いますが、恐怖感という存在自体が人を操る道具になると思います。1つの例としては、移民問題ですね。すごく騒いでいます。メディアが恐怖感を与えるという状況になっています。例えば、移民に対してチェコの国民は不安や恐怖を覚えたのですが、実際にチェコ国内には移民が70人ほどしかいないんですね。しかし、そのために350のデモが行われているんです。権力を持っている、操れる立場の人達が、それを1つの道具にして、恐怖感を与えて操りやすくしているのだと思います。
また、例えばアメリカのような民主主義の国であっても、何かに対する恐怖感を与えたることで人々が操りやすくなると思います。怖がっている人は弱いので、マニピュレーションされやすい。本作のストーリーがおかれている80年代は、後期のコミュニズム、第二段階の共産主義の時代です。70年代と比べたら少しゆるくなっている。本当はそこまで恐怖を感じなくてもいいのに、恐怖を感じていたんです。
Q:最後に出てきたのは実際の子供達だと思うのですが、彼らは映画になるということを知っていたのでしょうか。
監督:子供たちも映画を観ました。
Q:教師の人格は映画のためにフィクションとして作り上げたのでしょうか。それとも実際の彼女そのままに作り上げたのでしょうか。
監督:女教師はかなり忠実に描かれていると思います。ただ、実際の先生はもう少し歳をとっています。何故かというと、思い出の中でお母さんの戦争中の話が出るので、もう少し年配です。生徒の役は、映画のために若干役と人物を入れ替えたりもしましたが、大体は実際に存在していたキャラクターです。この人たちはヤルホフスキーと同級生です。今でも40年くらい連絡を取っています。
Q:最初に先生が自己紹介をしていた時に教える科目がロシア語とスロバキア語と歴史だったのですが、最後のシーンではロシア語ではなく英語で、そして歴史以外にも倫理を教えていました。この教える科目が変更になったことについて意図があるのでしょうか。
監督:教える教科が変わることは決して珍しくない、よくある話でした。終わり方はほとんど事実です。そこでわざと変更したわけではなく、て本当によくある話なので、ある種のリアリティ、象徴的な話になります。ヤルホフスキーは大学を出たのですが、共産主義の先生たちが全く違う科目を教えたり、初代チェコ・スロバキア大統領のトーマシュ・マサリクについて共産党員が講義をしたりと、非常におかしな状況でした。
Q:脚本の方はあの映画の中のどの子供にあたるのか、差し支えなければ教えていただきたいです。
監督:モスクワにお菓子を運んでほしいという2人が、ヤルホフスキーの両親だったんです。
Q:怖いものの、最後に救いがあるのではないかと拝見していました。また、監督の以前の作品『この素晴らしき世界』では、ナチス時代のチェコ・スロバキアが描かれていて、ナチスに協力した人も、レジスタンスをした人も最終的に終戦後はなんとなく助け合っていくというような世界が描かれていたと思います。これらはチェコ・スロバキアの実社会を描いたものなのか、監督ご自身の指向する世界を描いたものなのか、教えてください。
監督:チェコ全体の姿勢というよりも私と脚本のヤルホフスキーの姿勢と言えるでしょう。もちろん、チェコのように短期間のうちにクーデターで体制が2、3回変われば、いろんな極端な状況が起きやすいと思います。この映画に関しては、私と脚本家の世界だと思います。もしかすると他のチェコ人に聞いたら、このようには世の中を見ていないかもしれません。『この素晴らしき世界』で私達は敵を弁護しているように言われたんですが、私たちはそうは思っていません。