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11/1(火)、コンペティション『空の沈黙』の上映後、カエタノ・ゴタルドさん(脚本)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
カエタノ・ゴタルドさん(以下、カエタノさん):この度は、東京国際映画祭に私どもの作品を選定いただき、誠にありがとうございます。実は、日本に来るのは初めてです。来ることができて非常に嬉しく思っています。昨日着いたばかりで、少し探検させていただきましたが、印象に残ったことがたくさんありました。
司会:ありがとうございます。マルコ・ドゥトラ監督は日本に来ることができませんでしたが、とても素敵なメッセージをいただきましたので、これからご覧いただきたいと思います。
マルコ・ドゥトラ監督からのビデオメッセージ:
「こんにちは。東京国際映画祭の親愛なる観客のみなさん、『空の沈黙』の監督マルコ・ドゥトラです。皆さんと一緒に東京で上映を楽しみたかったのですが、TVシリーズ「ヒプノタイザー」の撮影のため、ウルグアイにいます。毎日ハードな撮影が続いています。どうしても来日することができず残念です。映画を楽しんでいただけたでしょうか? Q&Aの前に作品について少しお話ししたいと思います。
この作品は私の長編3本目になります。生まれ故郷のブラジル・サンパウロから離れ、初めてウルグアイのモンテビデオで撮影しました。本作ではスペイン語とポルトガル語が使われています。2つの言葉が混ざっている設定を楽しんでいただけるか分かりませんが、重要なポイントになっています。スペイン語とポルトガル語の違い、それは夫と妻の話す言語の違いであり、“トラウマを語り合うことができないカップル”という作品のテーマにもつながっているのです。
妻のディアナと夫のマリオ、別々のトラウマを抱えた2人にスポットを当てて描きました。話すことができない互いの出来事を抱えたカップルを、スリラーという手法を用いて表現しようと試みました。ただし100%スリラー映画にはしたくなかったので、この夫婦の心情や本質に迫る情念も作品に織り交ぜドラマの要素も残しています。
脚本のカエタノ・ゴタルドが代表してこの映画を紹介してくれます。彼は本作に欠かせない存在の1人で、私の映画学校時代から15年以上にもわたる友人です。この作品の脚本として早くから参加してもらい、編集や吹替制作にも入ってもらいました。この映画の過程をすべて分かってくれていて、我々の代表として適任です。私も日本に行けたらどんなに良かっただろうと思っています。
東京から招待をいただき、インターナショナル・プレミアができて感動しています。映画を楽しんでいただけたら嬉しいです。Q&Aを楽しんでくださいね。アリガト!」
司会:監督はとても良い方とお見受けしますが、これまでの彼の作る作品を観ると、とても怖い映画を撮る方ですよね。恐怖というものが彼の1つのテーマになっていると思うのですが、監督の恐怖に対する想いをご存知でしたら教えていただけますか。
カエタノさん:私は監督と18年来の付き合いで、映画学校に通っていた当初から一緒に彼と組んでやっています。この恐怖、我々の日常にひそむデーモン、いろんな悪魔とでも言いますか、そういったテーマは監督にとって大事で、ドラマの中、そして日常の観察を描く中で表現しようとしています。恐怖は人間として彼の性格の一部でもあり、そういったものと対峙しなければならない、認めなければならない、でなければ前へ突き進むことができない…とお考えのようです。
司会:原作は、数年前に東京に招待した『激情』(09TIFF審査員特別賞受賞)という映画と同じ原作者(セルジオ・ビジオ)が書いた本をベースにしていると知りました。今回その本を映画化し、そして脚色するにあたった経緯を教えてください。
カエタノさん:この脚色の過程は、脚本家として非常に面白い経験になりました。原作者のセルジオさんの奥さんが映画監督で、非常に面白いキャリアを積んでいるフィルムメーカーなのですが、まずはセルジオさんと奥さんの2人で脚色を始めていました。もともとはプロデューサーのホドリゴさんの企画で、監督にマルコが指名された時に、彼なりの視点を加えたり、彼自身が内に抱えている問題をストーリーに反映したいということで、脚本を書き直させてくれという話になったんです。そこで僕の名前を挙げてくださいました。それから僕たちで書き直しをして、もともとの台本のエッセンスはキープしつつも、僕たちなりの視点を加えていって、パーソナルな作品にしています。
また、ビデオメッセージでマルコも言っていましたが、僕は編集段階になってからも参加させてもらっています。実は独白、つまりボイスオーバーの部分は、編集段階でさらに付け加えました。原作から引っぱっているわけではなく、僕たちが手を加えところです。
司会:奥さんとご主人の独白が、それぞれスペイン語とポルトガル語で話されていることで、どういうニュアンスの違いが出ているのか教えていただけますでしょうか。
カエタノさん:スペイン語とポルトガル語が両方入っているのは、僕たちが加えた要素です。最初の脚本はスペイン語で書かれていました。それを、私たちの考えで奥さんの方をブラジル人にしようと思ったんです。つまり、2人とも別々の世界の人間であるということを表現したかったわけです。一緒に生活をすることで1つの世界を築くわけですが、実は奥さんは職場の友達と話をする時はポルトガル語で話していて、そこでは友達との世界を築いています。奥さんの独白、ボイスオーバーはポルトガル語なので、奥さんの奥底から出てくる声はポルトガル語であり、そういう部分では旦那さんと共通の言語を話していないというのがポイントです。
Q:植物を恐怖の象徴として使うというのは、どのようにして決まったのでしょうか。原作にあったのでしょうか。
カエタノさん:マルコ監督は非常にホラー映画が大好きなんです。スリラーやホラーというジャンルは、彼の映像作家として1つの核をなしている部分です。こういう様々なテーマを描く中で、ジャンル的な要素を盛り込むのが好きなのです。
植物について、とても良い質問だと思います。サボテンは原作から取っていまして、非常に良いモチーフだと思いました。サボテンは植物ですが、棘があって危険ということで、より直接的な危険の暗喩になっています。監督はさらに一歩踏み込んで、植物そのものにホラーが巣食うというか、そういう感情を出そうとしています。レイプ犯が働いている植物店は、恐怖を帯びた不吉な感じのするお店という演出を心がけました。
植物というのは大変面白くて、生き物ではありますが口をきかないわけで、なかなか読めない対象です。また、非常に綺麗ではあるけれど、どことなく不可解で怖い部分があるということで、この映画の中でも1つの大きなモチーフ、1つのキーにしようと決めました。なので、植物をどのように登場させるか、どう映すかは監督がかなりこだわって描いています。奥さんのディアナさんも、洋服のデザインをする時にサボテンをモチーフにしていますが、それは植物を愛する人が紹介してくれたサボテンを、どうにか仕事の中で昇華していこうというモチーフなんです。
Q:最近の傾向で、起承転結の「結」を観客にゆだねるパターンの映画が非常に多いですが、本作では、登場人物の2人は語ることをせず、知っているのは観客だけというのが素晴らしかったです。
カエタノさん:非常に面白いご感想ありがとうございます。おっしゃる通り、今回の作品はまったく解釈の余地がないと言うと言い過ぎですが、ある種の結末を描くということは意識的に行いました。マルコ監督はスリラーという構造にこだわっていて、その中で心理的なテーマを探求しています。観客にスリラーを観る時のハラハラ感を味わってほしかったので、キャラクターたちがどうなっていくのかという結末を描いています。
Q:視点が途中で奥さんの立場に変わるのは、原作でも同様だったのでしょうか?
カエタノさん:途中から妻の視点に変わるのは、原作になかった部分です。原作では完全に夫の視点で語られています。また、別居中のエピソードも原作にはあり、旦那に彼女ができたり、ある種の中年の危機を迎えたりという描写もあります。しかしこの映画を描く上で、冒頭のレイプシーンを、旦那が悶々として家を出ていくことのきっかけに過ぎない…ということにするのは、どうしても我々にはできなかったのです。なので、必ず奥さんにもカメラを寄せていくということにこだわって、冒頭のレイプシーンは完全に彼女の視点で、彼女に近く寄って描いています。そして、終盤の方ではまた彼女の視点に戻ってきて、彼女の心の内が聞こえてくるわけですが、やはりあのレイプがどれだけ辛いものだったのかというのは描かなくてはならなくて、直に伝わるように演出しました。マルコがビデオメッセージでも言っていましたが、旦那にも妻にもぐっと寄せていくということにこだわりました。どうしてもあの事件を共有できなかったこと、それがどれだけ辛かったことか、結局2人はそれを共有する糸口を見つけられなかったわけです。そこが演出のこだわりです。
Q:緊張感や気味の悪さを、冒頭から終わりまで持続させるために、どのようなポイントに気を使いましたか?
カエタノさん:緊張感をキープするのは我々がこだわったポイントで、マルコもこの企画を持ってきた当初から言っていました。とにかくテンションをキープしなければならないということで、もちろん原作や脚本の初稿にもそういう感じがありましたが、それをさらに膨らませていこうとしました。他の映画も参考にして、いろんなスリラーの系譜、歴史、伝統を考えながら作り上げていきました。ポイントは登場人物に寄っていくこと、そして彼らの心の内がしっかり見える演出を心がけました。お互いの心の内を明かせず、それに苛まれる様子が直に伝わるように演出をしました。原作には様々なエピソードがありましたが、キャラクターにぐっと寄せたいということですべて削ぎ落として、このストーリーラインだけに集中することにしました。繰り返しになりますが、キャラクターの内なる葛藤を彼らに寄せていくということですね。マルコは優秀な監督なので、編集する中でもリズムを意識しながら変更を加えていきました。観ている時につい呼吸ができなくなるというか、息を止めてしまうというか、そういう感覚を大事にしながらやっていきました。